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高槻城の高山右近像、昨日はクリスマスだった

人類史上、宗教ほど罪深い思想はないと私は思っている
原始宗教の生贄や人身御供ということも、世界各地で行なわれていたようだ
史上、我が身一家一族を守らんが為に、対立者を倒すことや戦争は繰り返しあった
然し、洗脳による殺人や集団殺戮を意に介さない行動規範を生む宗教とは何だろう
特に、白人キリスト教世界では、宗教差別と人種差別が日常社会に根を張っている
それにイスラム教徒の聖戦・ジハードの行動規範も血の制裁と報復の連鎖といえる
アジア・アフリカ・南北アメリカで白人キリスト教徒の犯した行為には、許せないものがある
ユダヤ教を本貫とする、これら一神教の持つものにはおどろおどろしいものを感じる
耶蘇教(キリスト教)の布教を禁じた日本の選択は正しい歴史判断であったと、私は思っている

茶会の席では、話題してはならないことの五か条がある
我が仏、隣の財、婿舅、天下の戦に、人の善し悪し
我が仏とは、自分の宗教観を人前に出すということである
よって、茶のブログでもこの五か条を心得るのが必定と考える
だが、それは宗教を自分の心の中にある、思いや信仰、祈りと心得る故のもの
仏を飯の糧とする 世帯仏法腹念仏や殺人殺戮を煽る類のものに、私は嫌悪感を持つ

利休の茶の7哲・10哲とか云われた武将の大部分がキリシタンであったこと
そこに「禅と茶は一体」と云う話との不整合を感じるのは私だけであろうか
高山右近というキリシタン武将の生き様、彼の茶に対する傾倒のことを鑑みて
次にそれが何であったかを考えてみたい
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