無題
250キロ爆弾を抱え、敵艦に突入する海軍零式戦闘機
昨日は、半里の道を電動三輪車にまたがり、イオン高の原シネマの「永遠の0」を見に行った
原作ほとの感動が得られなかった、制作関係者の年齢の所為か現在の価値観混入を感じた

高山右近の三話である、私は今以って自由「フリーダム、freedom」と「リバティ、liberty」
この違い、どうも釈然としないでいるのだが、学生時代のある先生が云った言葉が耳に残っている
「フリーダムは行動の自由、リバティは心の自由、故に諸君の思いはどうあれ、今ここの席に就き、私の話を聞くのは学生の務めであり、身勝手な振る舞いは許されぬ、自由をはき違えてはならん」
そう云えば、ニューヨークに立つ自由の女神像は(The)Statue of Liberty、である
英国との独立戦争に勝ち、自由を勝ち取った新生米国へ仏国の送り言葉は「liberty」の賛辞であった

「自由」という言葉は福沢諭吉が仏典から借用して付けた日本の漢語とされている
当時の諭吉にも、「freedomとlibertyの概念の違い」が分からなかったのかもしれない
浅学ながら私が感じる、高山右近の生き様と茶に対する思い入れとは、libertyへの求道であったのかと

右近は、荒木村重のもとへ自分の妻子縁者を人質として置いたまま、村重を裏切り離反、逃走した
耶蘇教改宗を迫られた右近は明石六万石を捨てても、宗旨を変えず浪人の道を選ぶ
故国・日本をも捨て、慶長十九年(1614年)、フィリピンのマニラに渡り、翌年そこで没した(享年六四歳)
何かを探し続け、何かに追われ、何かの救いを求め歩いた「道」、右近は茶の湯の中で見付け得たのだろうか

日本の僧侶にも、全智全霊で「求道」をしたと云う話は聞く、鎌倉から室町にかけての[法然」や「明恵」
右近の神と求道へ向かい合うもの、それは耶蘇教故のものなのか、日本人故のものなのか、私には分からない
禅宗、それも臨済の僧が茶の湯と繋がり合うことへの蓋然性とその是非も私には解せないままである
来年には、その辺りの胸のつかえが取れると嬉しいが・・

好いお年を
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