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冨本銭、七〇八年に作られた和同開珎より二・三〇年早く作られた日本最古の銅銭貨幣
実際に通貨として流通したものか、まじないに使うものだったかハッキリしないとか
和同開珎、「ワドウカイチン」されるが、私は「ワドウカイホウ」と習ったのだが・・

日本最古の流通貨幣は私鋳銀貨の無文銀銭(むもんぎんせん)というものらしい
実際には銀の目方価値で取引されたと考えられ、秤量貨幣または計数貨幣とされる
後代にも、江戸時代の西日本では豆板銀や丁銀等の銀の秤量貨幣が使用されている

何の話かいうと、この月曜日に和歌山の証券会社(みずほ)支店長と地銀OBと会談
水曜日には、奈良の証券会社(野村)支店長と地銀(南都)の管理職と会談した故の話
昔は、銀行は社会的ステータスを持ち、銀行員はエリートだという見方をしたようだ
比べて証券会社は、「株屋」と呼ばれろヤクザな仕事で、そこに勤める者も低く見られた

しかし、この月・水曜日の会談で、今は違うとこれまでの認識を改めた次第である
現役の頃の私は、人を見る時には「敵か味方か」「裏切るか裏切らないか」という判断
今ひとつ強いて云うなら「アホかカシコか」、これは学業成績のことでなく地頭のこと
和歌山も奈良も、証券会社の支店長は同じ四九歳であったが、それなりに人柄が出ていた
その応答と顔、眼付きに「裏切らない」というか、変に取り繕うところが見られなかった
地銀の人には、嘘ごまかし言い逃れの臭気芬芬、イラついた私が「銀行業は何か」と問う
それに応えて、両地銀の曰く「江戸時代の両替屋が銀行の起こり」とか云いなさる

私曰く「江戸時代に銀行があれば、武家屋敷や商家が金蔵に千両箱を置くことはない」
江戸期の両替屋は銀本位と金本位の貨幣の交換、上方と江戸や各地の為替業務が本分
今の銀行の本分たる預金と貸し付け業務は両替屋の本分ではなかった、それは金貸し銭屋
云々と話を深めると、地銀の人はシドロモドロ、話をすり替えようとする、情なくなった
鴻池の家業や住友家の家訓を知らない様であった、地銀の人は経済学部出身とか

野村の奈良支店長、運転手付き黒塗りセダンで我が家に前触れも無しで乗り付けて来た
頭の打ち傷の痛みで夕方から伏せていた私、何か知らんと寝着姿のままで私は玄関に出た
「挨拶に来た」という言葉に、無性に腹立たしくなった私は、取り敢えず家に入ってもらう
若い支店長が、年配の顧客の家の前まで運転手付き黒塗りセダンで乗り付ける感覚や如何?
顧客相手の商売では、先方の家の百メートル先で車を降り、歩いて来るのがマナーである
貴方のその分別、どこで習ったのか?親か、地域社会か、学校の先生か、それとも会社か?

頭の鈍痛で寝ているところを起こされたのと、野村のファンドで損をしていることもある
私が詰問すると、支店長は「誰というなら、それは私自信です」とか仰り賜る
「赤ん坊が自分の分別を持って生まれてくるハズが無かろうに、つまらん言い訳無用」
出身は?と問うと東北の田舎だとか、親は?実直者です、先生は?いい人でした、とか
・・ほんなら?と云うと、暫く時間を置いて苦し気に「企業体質かも知れません・・」

話題を変えて、何かやっていたのかと問うと、「ラグビー」と応えなさった
私は破顔、「ラグビーならエエ、あれは紳士の武道や、まあ足を崩しなされ」
二時間正座の彼は破顔、「では」と云って崩そうとしたが、尻もちをつき、足をさすった
そして用事はあくまでも「挨拶に寄った」との一点であった、この支店長はん、エエ男

比べて南都銀行、過去に失策をして先代・先々代の支店長は家や病院まで来てくれたものだ
しかし、時は移り、人は変わった
本当は、「変われども」、と書きたいところだが、これ以上は悪口になるので止める

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