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菫(すみれ)草の花、歩道のアスファルトと街路樹の囲いの間で頑張っていた
花言葉「小さな愛・小さな幸せ・純潔」
菫の花言葉は「清く・正しく・美しく」と思いそうだが、それは阪急電鉄創業者・小林一三の作文
    
♪ すみれの花咲く頃
  はじめて君を知りぬ
  君を思い 日ごと夜ごと
  悩みし あの日の頃
  すみれの花咲く頃
  今も心奮(ふる)う
  忘れな君 我らの恋
  すみれの花咲く頃

宝塚歌劇団を象徴する歌として有名であるが、正式な団歌ではない
原曲はフランツのシャンソンに白井鐵造が日本語詞をつけた『パリ・ゼット』の主題歌
それが何となく、「宝塚・すもれの花・清く正しく美しく」が三点セットになったようだ
大正三年四月一日が初公演ということで、今年は百周年となり、産経新聞では特集連載中
極道のそれよりは可愛い、花言葉を偲ばせる名の五つの組で公演活動し、有名である

阪急電鉄の沿線開発事業の一環として宝塚の遊園地・温泉地等と共に始まった少女歌劇団
然し、私にとって少女歌劇団といえば、菖蒲(あやめ)池少女歌劇団が先に浮かぶ
宝塚少女歌劇団に少し遅れて大正十一年に誕生した大阪松竹少女歌劇団(OSSK)である
東京の松竹少女歌劇団(SSK)と共に日本の三大少女歌劇と呼ばれて人気を博した
少女歌劇団の名から「少女」が外されたのは昭和十五年、大東亜戦争開戦の前年であった
それにより、「OSSK」は以後{OSK]、「SSK]は{SKD」になろ

かつて、宝塚とは同じ関西でしのぎを削り、「歌の宝塚、ダンスのOSK」と並び称された
また同じ松竹が経営していたSKDは、OSKの後に東京を本拠とする劇団としてつくられた
大阪本拠のOSKとの棲み分けを図った為、OSKは東京での公演が長らく不可能となった
その間、宝塚は東京に東京宝塚劇場を設置して常時公演できる体制を整えた
全国レベルとなった宝塚に、人気・知名度で大きく差を付けられることになった
近鉄あやめ池遊園地の閉鎖、そこの円形劇場を本拠にしていたOSKも平成十五年に解散

少女歌劇団の化粧方法と衣装には独特のものがあるようだ
菖蒲池駅では、乗り降りする女性の中に、すぐそれと分かる娘たちを見かけたものだ
何とも云えぬ雰囲気を漂わして輝いていた娘たちの様子が、私の記憶の中に残っている
その彼女たち、歌・洋舞・和舞なんかの稽古に併せて、茶の稽古も必須にしていたと聞く
宝塚歌劇団の百年祭を祝うことに吝かでないが、菖蒲池のOSKのことも忘れないでおく

OSK出身と云えば、京マチ子、笠置シズ子、千賀かおる、林美智子、水の江滝子等だ
水の江滝子(ターキー)は東京の女という感じだったが・・
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