2014.04.29 昭和の日
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遊鯉の軸、花は菖蒲(ショウブ)、花入はお歯黒入れの壺である
昨日は新入塾生三人の稽古日、その床の様である、登竜門のつもりであったが

今日は昭和の日、緑の日なんぞとオヌカシであったが、世情も多少は健全化されたと云える
五月五日の端午の節句は江戸期以来「男児の節句」であるが、今は「子供の日」だとか
昭和の大戦後、「平和教育者」とかがオヌカシアソバシ、今も法律上の呼称はそうなっている
端午とは、端(始まり)、午(五)、つまり五月初めての五日ということであるそうな

端午の節句の行事は、汨羅江(べきらこう)に入水自殺した楚の愛国の士・屈原の供養
その無念を鎮めるため、また亡骸を魚が食らわないように、人々が魚の餌を投げ込んだとか
それは笹の葉に米の飯を入れたもので、これが「ちまき」の由来といわれると聞く
そして、古くは邪気を払うとされていた菖蒲(しょうぶ)を飾るようになったといわれる

旧歴五月五日とは新暦の六月中旬で、日本では梅雨の季節であり、雨の日々である
雨の日に、男児の出世と健康を願って家庭の庭先で飾られた鯉の絵柄が「鯉のぼり」である
鯉のぼりは日本独特の風習とか、それも江戸の武家風習で、上方にはない風習であった
鯉を描き、風になびかせる吹流しを皐幟(さつきのぼり)、鯉の吹き流しと云ったとある
武家では菖蒲と「尚武」と結びつけて男児の立身出世・武運長久を祈る年中行事となった
この日、武家の家庭では、虫干しをかねて先祖伝来の鎧や兜を奥座敷に沖飾り
玄関には旗指物(のぼり)を飾り、家長が子供達に訓示を垂れたとかいう

我が息子を「鯉の滝登り」に重ね、世の中を逞しく登り切り、出世せよとの親の願い
かつて卒業式で「身を立て、名を上げ、やよ励めよ」と詠われた、あの「仰げば尊し」
因みに、先の記事にした幼馴染の稲荷寿しの話、茶店「のぼりや」も宮の参道の幟
まま、「幟・のぼり」ついでの脇道話ながら・・

さて、鯉の滝登りといえば「登竜門」、これの読み方や如何に
「登竜の門」か「竜門を登る」かとか云う話、これは「竜門を登る」である
「竜門」とは夏朝の皇帝・禹が黄河上流にある竜門山を切り開いてできた急流のこと
その急流を登り切った鯉は、やがて竜に出世(?)するとかいう古の逸話だとか

なるほどに五月五日、「男児の節句」とは日教組の先生方には聞き捨てならん話であろう
男女平等の「子供の日」が正解なのであろう、然し、三月三日は「ひな(雛)祭り」
これも「子供の日」として然るべきだろうにと皮肉るは、先の短い翁の繰り言
何故、女子大学が今もって存在し、男子大学はなくなったのであろうか
最近の防衛大学の首席卒業生は女子が多いとか、にも拘わらす卒業式の祭典の総代は男子
そういうことなのかとは?、やはり翁の繰り言か

屈原を偲ぶ、昭和維新の歌(青年日本の歌、海軍中尉三上 卓作詞 ・25歳時)

一、
汨羅(べきら)の渕に波騒ぎ
巫山(ふざん)の雲は亂れ飛ぶ
混濁(こんだく)の世に我れ立てば
義憤に燃えて血潮湧く

二、
権門(けんもん)上(かみ)に傲(おご)れども
國を憂うる誠なし
財閥富を誇れども
社稷(しゃしょく)を思う心なし

三、
ああ人栄え國亡ぶ
盲(めしい)たる民世に踴る
治亂興亡夢に似て
世は一局の碁なりけり
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