2014.05.09 吾唯足知
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手水の彫り「吾唯足知」ワレタダタルヲシル、如何にも坊さんが好きそうな文句である
だから何、と思ってしまうところが私にはあった

一般的に、為政者の手先としての坊さんは、民衆の不平不満を逸らす説法を旨とする
逆に学問・哲学とする仏僧は救民を説き、しばしば為政者と対立、その迫害を受けた
私には宗教観の是非はともかく、宗教を生業とし、人への上から目線は受け入れ難いところ
しかし最近、「人生は一度、体は一つ」という言葉が、私の心を納得させることがある
別に、信心深くなった訳でも、何かに目覚めて改心した訳でも無く、気付いたということ
それは単に、「それでええやないか」「誰の人生でもない、ワシの人生や」ということだ
「唯我独尊」でも「慢心・傲慢」「独り善がり」ということでもない

前に記事にした私の祖父のこと、その生き方と云い分へのある種の理解かも知れない
祖父は、一人息子で我が儘に育ち、結婚しても女房・子供に苦労を掛け乍らの極楽とんぼ
然し乍ら、年老いてからは子供たちが順々に面倒を見、世話をやいたことは先に書いた通り
その祖父、周りの人から「爺さんは幸せね」と云われて、気色張って云い返したのだった

「人がどう思うても、それは要らんこと、自分がそう思うてへんかったら、幸せちゃう」
云い得て妙である、それは逆に「人になんぼ不幸やと云われても、ワシが幸せ思うたらエエ」
ということにもなる、我が爺さんナカナカである
お洒落でフンドシは無粋と云い、赤いお腰をして尺八に凝り、食通の爺さんであった
私は実の祖母は知らないが、爺さんの婆さん宅には三軒連れて行かれた記憶がある

古今東西の賢人が云う「吾思う故に吾あり」「胡蝶の夢」「唯心・唯識」なんだらかんだら
結局はそういうことだろう、爺さん的生き方も「何が悪いの?」と云えば其れまでのこと
ただ、爺さんは周りに迷惑、それも身内に迷惑を掛けたのは頂けないところである
人に迷惑や不幸を及ぼさない限り、人の目や評価は無用のものであろうと私は思う
つまり、「評価」は人がするものでなく、自分がするものであるということ

「悟」という字、「心と吾」であることに最近になって気付いた
「一度きりの人生」を自分自身の思いで大事にしていきたいと、つと思うこの頃である
「茶の湯」も自分の思いが大事、「守破離」の玄旨は人生そのものにも云えるようだ

佐良直美は今どうしているのだろうか
♪ いいじゃないの幸せならば
♪ 世界は二人のためにある・・(一人のためかな)
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