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月下美人(ゲッかビジン)サボテン科、花言葉「強い意思」、メキシコ原産
日本に普及していた株は、原産地から導入されたたった1つの株から増やされた同一クローン
名の由来は、植物学者でもあった昭和天皇が台湾を訪問された時、夜の庭に咲くこの花を見て
駐台大使に名を尋ねると、大使はとっさに「月下の美人ですね」と答え、その名になったとか

私はその花言葉「強い意思」を持って、黄村先生の茶Ⅲ(最終編)を掲載する
第一編ではブログ来訪者三十八人で六拍手、過去最低の拍手率であった
次の第二編では、訪問者十四人で半減以下となり、わずか三拍手であった
不評とはいえ、茶のブログ、私は黄村先生の茶に心が通う気がするのである

では、黄村先生の茶Ⅲ(最終編)である

「それじゃ、はじめよう。」先生は立ち上って隣りの三畳間へ行き、襖ふすまをぴたりとしめてしまった。
「これからどうなるんです。」瀬尾君は小声で私に尋ねた。
「僕にも、よくわからないんですがね、」何しろ、まるで勝手が違ってしまったので私は不安でならなかった。「普通の茶会だったら、これから炭手前の拝見とか、香合一覧の事などがあって、それから、御馳走が出て、酒が出て、それから、――」
「酒も出るのですか。」松野君は、うれしそうな顔をした。
「いや、それは時節柄、省略するだろうと思うけど、いまに薄茶が出るでしょう。まあ、これから一つ、先生の薄茶のお手前を拝見するという事になるんじゃないでしょうか。」私にもあまり自信が無い。
 じゃぼじゃぼという奇怪な音が隣室から聞えた。茶筌ちゃせんでお茶を掻(かき)廻しているような音でもあるが、どうも、それにしてはひどく乱暴な騒々しい音である。私は聞き耳を立て、
「おや、もうお手前がはじまったのかしら。お手前は必ず拝見しなければならぬ事になっているのだけど。」
 気が気でなかった。襖はぴったりしめ切られている。先生は一体、どんな事をやらかして居られるのか、じゃぼじゃぼという音ばかり、絶えまなくかまびすしく聞えて来て、時たま、ううむという先生の呻うめき声さえまじる有様になって来たので、私たちは不安のあまり立ち上った。
「先生!」と私は襖をへだて呼びかけた。「お手前を拝見したいのですが。」
「あ、あけちゃいけねえ。」という先生のひどく狼狽したような嗄(しゃが)れた御返辞が聞えた。
「なぜですか。」
「いま、そっちへお茶を持って行く。」そうしてまた一段と声を大きくして、「襖をあけちゃ、駄目だぞ!」
「でも、なんだか唸うなっていらっしゃるじゃありませんか。」私は襖をあけて隣室の模様を見とどけたかった。襖をそっとあけようとしたけれども、陰で先生がしっかり抑えているらしく、ちっとも襖は動かなかった。
「あきませんか。」海軍志願の松野君が進み出て、「僕がやってみましょう。」
 松野君は、うむと力んで襖を引いた。中の先生も必死のようである。ちょっとあきかけても、またぴしゃりとしまる。四、五度もみ合っているうちに、がたりと襖がはずれて私たち三人は襖と一緒にどっと三畳間に雪崩(なだれ)込んだ。先生は倒れる襖を避けて、さっと壁際に退いてその拍子に七輪を蹴飛ばした。薬鑵は顛倒(てんとう)して濛々(もうもう)たる湯気が部屋に立ちこもり、先生は、
「あちちちちち。」と叫んではだか踊りを演じている。それとばかりに私たちは、七輪からこぼれた火の始末をして、どうしたのです、先生、お怪我(けが)は、などと口々に尋ねた。先生は、六畳間のまん中に、ふんどし一つで大あぐらをかき、ふうふう言って、
「これは、どうにもひどい茶会であった。いったい君たちは乱暴すぎる。無礼だ。」とさんざんの不機嫌である。
 私たちは三畳間を、片づけてから、おそるおそる先生の前に居並び、そろっておわびを申し上げた。
「でも、唸っていらっしゃったものですから心配になって。」と私がちょっと弁解しかけたら、先生は口をとがらせて、
「うむ、どうも私の茶道も未だいたっておらんらしい。いくら茶筌でかきまわしても、うまい具合いに泡が立たないのだ。五回も六回も、やり直したが、一つとして成功しなかった。」
 先生は、力のかぎりめちゃくちゃに茶筌で掻きまわしたものらしく、三畳間は薄茶の飛沫(ひまつ)だらけで、そうして、しくじってはそれを洗面器にぶちまけていたものらしく、三畳間のまん中に洗面器が置かれてあって、それには緑の薄茶が一ぱいたまっていた。なるほど、このていたらくでは襖をとざして人目を避けなければならぬ筈であると、はじめて先生の苦衷(くちゅう)のほどを察した。けれどもこんな心細い腕前で「主客共に清雅の和楽を尽さん」と計るのも極めて無鉄砲な話であると思った。所詮理想主義者は、その実行に当ってとかく不器用なもののようであるが、黄村先生のように何事も志と違って、具合いが悪く、へまな失敗ばかり演ずるお方も少い。案ずるに先生はこのたびの茶会に於いて、かの千利休の遺訓と称せられる「茶の湯とはただ湯をわかし茶をたてて、飲むばかりなるものと知るべし」という歌の心を実際に顕現して見せようと計ったのであろう。ふんどし一つのお姿も、利休七ケ条の中の、
 一、夏は涼しく、
 一、冬はあたたかに、
 などというところから暗示を得て、殊更に涼しい形を装って見せたものかも知れないが、さまざまの手違いから、たいへんな茶会になってしまって、お気の毒な事であった。
 茶の湯も何も要いらぬ事にて、のどの渇き申候節は、すなわち台所に走り、水甕みずがめの水を柄杓(ひしゃく)もてごくごくと牛飲仕るが一ばんにて、これ利休の茶道の奥義と得心に及び申候。
 というお手紙を、私はそれから数日後、黄村先生からいただいた。
< 完
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