2014.06.23 親子話Ⅱ
201406031009.jpg
花菖蒲(はなしょうぶ)、アヤメ科日本原産、花言葉「あなたを信じます、心意気、伝言」
アヤメ科の中では、菖蒲(しょうぶ)杜若(かきつばた)に比べ開花期が遅く梅雨入り頃となる
梅雨空に紫陽花と競演する姿は艶やかである
昨日書き込んだ記事、親に見捨てられ部屋で一人衰弱死をした斎藤理玖ちゃんへの思いを続ける

私は六歳から八歳の間、奈良県宇陀にある山寺の麓にある一軒家で育った
山寺のすぐ下には「母子寮」があり、そのまた下側の麓には「孤児院」があった
当時の「母子寮」とは、戦争で夫や家を失くした子持ち寡婦の入居施設であった
そして「孤児院」は、その多くが大阪辺りの「浮浪児」、戦災孤児の収容される施設であった

一軒家で隣近所というものが無かった私には、母子寮の子供が遊び友達となった
そして孤児院が遊び場だった、そこにはブランコやシーソー等があったためである
何時しか孤児院の顔馴染みになった私は、おやつの芋切れや落花生の配給も受けた
孤児院の先生も大らかだったのだろうが、年長の孤児たちが優しかったような思いが残る

それから二十年、私は広島の流通産業に身を置き、米国のファーストフードチェーンに参加
マニュアルとか何たらで、製造して四時間経つドーナツは廃棄処分という御定めであった
私は、折角作ったドーナツをゴミ箱に捨てることに違和感があり、然りとて販売も出来ず残した
閉店後、残したドーナツを「養護施設」、嘗ての「孤児院」今の「児童養護施設」に持ち込んだ
女の院長先生に、今日作ったもので捨てるに忍び難い旨を説明し、受け取ってほしいと伝えた
院長先生は「ありがとうございます、子供たちが喜びます」と云って、受けて下さった

ドーナツ作りの加減も次第に分りかけ、残量も出なくなってからも、時に応じて多目に作った
そして、余らしたものを定期的に「施設」に運んでいた、院長先生とも話す機会が多くなった
私が、子供の頃に「孤児院」を遊び場にしていて、そこの皆から可愛がられたことを話した
園長先生は、「当時の施設の子は孤児になっていたが、元はしっかりした家庭の子が多かった」
「今の施設の子は、本当の孤児は少ない、片親あるいは両親が居る子が殆ど」と聞かされた

戦災孤児は親の責任で孤児になった訳でないが、今の孤児は殆どが親の子育て責任放棄である
勿論、親に死なれたり、親の病苦、生活苦等の諸事情で止む無く施設に入る子も居るであろう
然し、先には神戸の若い母親が男と遊び歩くために、部屋に遺棄され死亡した幼い二児のこと
この前には、厚木で発見された当時五歳の理玖ちゃん、父親に女が出来で遺棄され死亡した
この子供たち、共に実の両親は居るのである

生物学で云ういう適者生存の掟とは、子孫を生み育てることが出来る者だけが生存するに値する
そうでない者は自然界で淘汰され、その子孫は残らないと云う摂理である
子孫に適者生存の能力・資格を与えることが出来ない者は、その子を作ってはならない
先天的に身体・精神・知能に不適正や問題を持つ人は子孫を残してはならないのだ
でないと、その子供たちが不幸であり、その不幸が世に連鎖するという条理となる

理玖ちゃん、その父親が最後に聞いたという理玖ちゃんの声、かすかに「パパ、パパ」
花菖蒲の言葉「私は信じています、伝言」、理玖ちゃんにとって神に勝る存在とは親である
そして、その親に伝えたかった理玖ちゃんの思いとは・・
非情な話だが、理玖ちゃんは生まれて来てはならなかった
スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://houan7010.blog.fc2.com/tb.php/376-31c9403b