2014.07.15
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このホームページの上田宗箇の生涯に掲載している「織部沓形(くつがた)茶碗」
宗箇が所持し、今も上田家に伝わる茶碗である、織部沓形とは不整形の楕円型が特徴
然りながら、織部焼というもの、織部自身が関わったとされる証はないとされている
また、織部焼の隆盛は短く、慶長年間から二〇年足らずの間で世から消えている
上田の古文書にも、宗箇は織部の沓形茶碗より利休の碁笥(ごけ)茶碗を好んだとある

今年は古田織部四〇〇回忌にあたる
慶長二〇年(元和元年・一六一五年)六月十一日(新暦七月六日)没、享年七十二歳
大坂夏の陣で、豊臣方に内通した嫌疑が掛かり切腹を命じられ、一切の云い訳なく果てた
利休も秀吉から切腹を申し渡され果てるが、死に際の恨みや未練が伝わるのと好対照だ

古田織部を描いた漫画「へうげもの」が好評と聞いた、ひょうげ者とは「ひょうきん者」である
「おどけた・変り者」ということ、いわゆる常識の「型」を破るという話であろう
当初は利休、利休亡き後は織部に師事した宗箇は、二人の師の好みを見分けている
宗箇と織部の茶問答を記録した古文書の中に、含蓄のある話が見える

「かなつかひは、定家せんさく候へとも、定家の書候物にハかなつかいのちかひおほし、
数寄も置合知りたるうへにては、見てさへ能候へハ、何と置き候でも不苦由、御物語候」

藤原定家は仮名遣いの第一人者で、彼の「下官集」という書は仮名遣いの原典とされる
その定家が仮名遣いを間違えていることも多いが、知って間違えている節があるという
織部は、知っていて自由にすることと知らずに無茶をすることの違いを物語ったのであろう
日本文化は「型の文化」とも云われるが、型を知って破るのは「型破り」の面白味もある
しかし、型を知らすに自由にするのは単なる「型なし」に過ぎないということである

私の人生は「型破り」、うん?否、「型なし」であると知る
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