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黒猫褌(クロネコフンドシ)

私の小学校前半は奈良の吉野川流域に住んでいた
この季節には、近所の悪ガキどもと一緒に川遊びに夢中になっていた
その頃の子供は「フリチン」が多かったが、上級生はこの「黒猫」であった
何時かは「黒猫」を着けたいと羨望の目を向けながら、自身は「フリチン」で泳いだ
大人は六尺褌に菅笠で鮎釣りをしていたので、子供は邪魔にならない様にした

小学校後半で奈良に戻って来た頃には、「黒猫」を目にしなかったように思う
奈良では、泳げる川が近くに無かったので、大人の川姿も目にすることはなかった
大人は、越中褌にステテコ姿でくつろいでいる様子が一般的で、上半身は裸も多かった
盥(たらい)に水を張り、「よくぞ男に生まれけり」と行水する横に褌がぶら下り揺れていた

褌の歴史は六尺褌形体が古く、越中褌は江戸後期からで一般化するのは明治に入ってとか
南洋諸島や東南アジアでは六尺褌形態の風習があるので、日本人南方起源説が唱えられた
しかし、日本人が褌をするのは布、特に木綿が普及してからのこと、それまではスッポンポン
鎌倉時代までは、戦死者の貴賤を見分けるのに、褌の有無を確かめたという話もある
室町時代に入って漸く六尺褌が普及し、そのまま男の仕事姿として一般化していったという
つまり、フーテンの寅さん口上で云う、「見上げたものだよ、屋根屋のフンドシ」である

越中褌が現れたのは江戸末で、肉体労働をしない医師や学者、商人、老武士のものだった
明治六年の徴兵制から軍隊の下着として越中褌が採用されたことがその普及の転機とか
皆兵制度の除隊者は、越中褌の利便性と爽やかを知り、その風習を全国各地に持ち帰った
ここで私は面白いことに気付いた、それは越中褌とビールの普及は同じパターンということだ

明治以降、ビール会社の設立、統廃合があったが、日本酒の前には僅かな存在であった
軍隊で採用された今のキリンビールで兵隊たちがビールを知り、除隊後もビールを飲んだ
ビールの販売高が、日本酒を超えたのは昭和三十年代初めの頃である
戦前は大日本麦酒が民間ビールの圧倒的な占有率を持っていたが、戦後はキリンに替わった
因みに大日本麦酒とは、今のアサヒビールとサッポロビールの前身である

昭和四十五・六年頃、私は衣料スーパーで「サムライパンツ」と銘打った褌を売ったことがある
売台に山盛りの褌が瞬く間に売れた、特売だったこともあるが愛好者が多い証だったと思う
昭和六十年頃、大阪日赤病院で入院生活をしたが、屋上の物干し竿には越中褌をそこそこ見た
今、スーパー銭湯やスポーツクラブに行って見渡すに、ふんどし姿を目にすることはなくなった

因みに、「越中」の謂れは武将茶人・細川三斎「越中守」の考案になるものとか
また、学習院では今もって「赤い六尺褌」で水錬学習を行っていると聞く
つまり、日本の皇統を継ぐ「イト、ヤンゴトナキ」皇族男子は皆「ふんどし男」である
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