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歌川広重の近江八景の錦絵、「堅田の落雁・かただのらくがん」、江戸後期の刊行

堅田落雁(堅田に降りる雁の群れ)
峯あまた 越えて越路に まづ近き 堅田になびき 落つる雁がね

日本各地には○○八景と云われるところが多く、それなりの観光名所になっている
近江八景の成立は、南都八景に次いで古いと云われている

さて、お盆である、シナ仏教の盂蘭盆(うらぼん)から来た風習らしい
盂蘭盆経に基づき,苦しんでいる亡者を救うための仏事で旧歴七月一五日に行われた
日本に伝わって初秋の魂(たま)祭りと習合し,祖先霊を供養する仏事となった(神仏合体?)
迎え火・送り火をたき,精霊棚(しようりようだな)に食物を供え,棚経(たなぎよう)をあげる

それが何時しか、精霊棚のお供えに、落雁菓子を供えるようになった
その形は、蓮花に野菜・果物、そして鯛というのが相場のようだ
本来は、本物の食物と正月同様に餅が供えられたらしい
しかし、生ものは傷みや腐りが来易いのと、幽界の奥までは届かないとか
餅にすると幽界の奥まで届くとされ、正月と同様に餅が供えられていた

そこで「落雁」、もち米粉に砂糖と水飴を混ぜて固める、云わば餅の一種と云える
更に、蓮花・野菜・果物に鯛の形にし、色付けすると、それだけで十分と考えた
さすれは、天国でも地獄でも幽界の奥へ、ご先祖のオワス処にへ供え物が届くハズ
なんとも人間様とは、ものごとの話を都合よくコジツケル癖があるようだ

では、「落雁」という名前の薀蓄を
唐菓子である軟落甘(なんらくかん)の「軟」がなまったことで欠落
そこに近江八景の「堅田落雁」と、唐土の「平砂の落雁」の景色をゴジツケ
軟落甘の名前から「落雁」の字を用いたという話だそうな

今一つ、本願寺の坊さんがこの菓子を後小松天皇に献上したときのこと
白色の地に黒ごまの点在する様が、雁の渡る姿を連想され「落雁」とか
まぁ、こちらの方が雅に聞こえるが、どうであろうか
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