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千島笹、隈笹(くまざさ)ともいう、隅(すみ)が白くなることからで、熊笹は誤記
千島から日本列島が原産地、江戸期に孟宗竹が入ってくるまでは竹の本流
万葉集に詠まれている「竹」とは千島竹のこと、別名「根曲がり竹」といった

昭和二十年の今日、八月三十一日、ソ連軍は北方四島を含む千島列島の占拠を終えた
六十九年前のこの時期、千島列島最北端の占守島は千島笹で覆われていた
占守とはシュムシュと読む、アイヌ語シュム・ウシ(南西・そこにある)とか
昭和二十年八月十五日にポツダム宣言を受諾、降伏した日本軍は武装を解いた

だが、八月十八日から日本陸軍の最後の戦いがあった、占守島の戦いである
突如上陸して来たソ連軍と日本軍守備隊との三日間の戦いである
私はこの戦いで、私自身の価値観ながら、心を打たれた話が三つある、

①、米軍の介入もあり停戦に応じたのは、婦女子の無時避難の確認後ということ
②、戦車第十一連隊・池田末男連隊長の言葉と行動
③、その時の北部方面軍司令官・樋口季一郎陸軍中将の決断

①の話、満州・樺太へのソ連軍侵入で起きたソ連兵の日本人婦女子への非道極まる凌辱
このことを伝え聞いていた占守島日本軍守備隊は、最後まで婦女子を守ろうとしたこと
我が部族の婦女子を守る、それが男の戦いの原点であると、私は思っている
日本軍将兵はシベリヤ抑留となり、辛酸をなめることになるが、婦女子・島民は救われた

②の話、学徒出陣兵士に対する池田連隊長の言葉。
「大学在学中の者まで動員せねばならぬところまで戦火を拡大してしまった軍上層部は間違っている。貴様たちはご両親が苦労して大学にいれて、その得た知識を国のため生かすのが使命で、その知識を命に代えてしまうのは残念である。自分たち軍人とは、国民皆兵の時代とはいえ、全く立場が違うはずだ」

そして、ソ連軍侵入の報を受けた池田連隊長の訓示
「我々は大詔を奉じ家郷に帰る日を胸に、ひたすら終戦業務に努めてきた。しかし、事ここに至った。もはや降魔の剣を振るうほかはない。そこで皆にあえて問う。諸氏は赤穂浪士となり、恥を忍んでも将来に仇を報ぜんとするか、あるいは白虎隊となり、玉砕もって民族の防波堤となり、後世の歴史に問わんとするか。」
「赤穂浪士たらんとする者は一歩前へ出よ。白虎隊とならん者は手を挙げよ」

全員が歓声を上げて両手を挙げる、「ありがとう」と池田連隊長
「連隊はこれより全軍を挙げて敵を水際に撃滅せんとす」
池田は先頭を進む戦車の砲身に日章旗を手にしてまたがり、三十数台の戦車が続く。
池田連隊長は学徒出陣の少年兵に命令、「お前は、生きて帰れ」
池田は壮烈な戦死を遂げるが、戦車隊は前線の日本軍守備隊を救援、ソ連軍を粉砕

三日間の占守島の戦いで、日本軍戦傷者は約六百名、ソ連軍戦傷者は約三千名
この戦車第十一連隊は、その十一から「士魂戦車連隊」と呼ばれ、現在も存在する
北海道第七師団戦車第十一連隊であり、後に池田連隊長の御子息も連隊長となる

③の話、時の北部方面軍司令官・樋口季一郎陸軍中将のこと
ソ連軍襲来の報に、「なにっ、ソ連軍が揚がったと・・・」と黙り込んだとされる
「自衛のための戦闘」を行なうべきか、大本営の停戦指示に従うべきか」
樋口司令官は、今戦わなければ千島・北海道が沖縄の二の舞なるとして、決断
「断乎、反撃に転じ、上陸軍を粉砕せよ」と命を下す

北海道占領の目論見を壊されたソ連は樋口を戦犯として引き渡しを要求
しかし、アメリカはソ連の要求を拒んだ、その背景に在米ユダヤ人の声があった
ユダヤ人にとっては、樋口は多くのユダヤ人を救った恩人であった

一九三九年の「オトポール事件」に於けるユダヤ人の樋口への恩義である
ドイツの迫害を逃れてソ満国境までユダヤ人難民二万人が逃げて来た時のこと
ドイツへの遠慮から、日本政府もソ連政府もユダヤ人難民の受け入れ拒否
ハルピン特務機関長であった樋口のところに、ユダヤ人が救いを求めて来た
樋口は東条英機参謀長に具申、ユダヤ人難民を満州に受け入れを決断

今、イスラエルの世界に偉人を記す「ゴールデン・ブック」に載る日本人は二人
樋口季一郎と「命のビザ」で知られる杉原千畝の二人である

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