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未だ青みが残る柿の実、然し、下の実はカラスに突かれている

柿は奈良の名物として名を知られているが、立役者は正岡子規だろう
「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」は周知の句でである
が、この鐘の音は実際は法隆寺でなく東大寺の鐘とは以前の記事にした
その時の宿は、奈良坂を下りた転害門の近くにあった「對山楼」、今はもう無い、
「奈良の宿 御所柿食えば 鹿が鳴く」という句も残している

別に子規の句にケチを付ける気はサラサラない、文人と奈良という話
子規は晩年、と云っても享年三十四歳だが、最後の旅で奈良に来た
生まれ故郷の愛媛・松山から船で広島宇品港、そこから列車で大坂へ
関西本線で法隆寺によってから奈良へ来る、明治二十八年のこと

実は、秋の訪れと云うことで「白秋」を書こうとして気付いたのである
北原白秋も最後の旅が奈良、生まれ故郷の九州からの途中であった
「奈良の都の藤若葉 けふあうたなり 我は空行く」等の歌を残している
そう云えば、奈良に滞在して作品を残した文人達が多く居る

●森鴎外、奈良国立博物館館長
奈良に関する作品:「奈良五十首」
●会津八一、二十七歳から生涯に三十五回奈良に短期滞在
奈良に関する作品:「鹿鳴集」
●志賀直哉、春日大社横の高畑に住み、旧邸は今も残る
奈良に関する作品:「日曜日」「池の縁」
●堀辰雄、六回奈良を尋ねる
奈良に関する作品:「大和路」「曠野」
●和辻哲郎、一度の奈良訪問で著作を出す、頭の感性が常人でないのだろう
奈良に関する作品:「古寺巡礼」
●亀井勝一郎、そう何度も奈良を訪れた様子はない、和辻はんを慕ったのだろう
奈良に関する作品:「大和古寺風物詩」
●島崎藤村、若き頃に吉野山の温泉に一か月余り投宿(その宿は私も女房殿と泊った)
何でも、失恋の果てと聞く、失恋法師の西行を偲んだらしい、感傷というか女々しい話
奈良に関する作品:「訪西行庵記」

他に奈良を題材にした文学作品は数えきれないぐらいある
私は、立原正秋の晩年の作品「帰路」に思いが残る
朝鮮半島出身だった立原は日本、日本語・日本文化を極めようとした
彼の文章とその筆致には、その気持ちが透けて見えると私は思っている
「帰路」には、日本人の戻るところは「奈良・法隆寺と茶」と書かれている
手前味噌ながら、首肯する次第

今一つ、忘れてならない歌人
前 登志夫(まえ としお・大正十五-平成二十年)、本名・前 登志晃(まえ としあき)
奈良・吉野生まれで吉野で生涯を暮らし、奈良・吉野や縄文・山花の心を歌う
私の高校の先輩でもある(^^)、これまた手前味噌・・



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