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モーゼル地方の中心地トリノにあるローマ軍の要塞跡

五月十日(月)

夜中の三時ごろ目覚める。みち子さんも起きていた。時差が七時間なので日本時間では午前一〇時である。着替えるため荷物の整理をする。みち子さんが自分の財布が無いと言う。ドイツに入って一度も財布を手にしていないので関空で失ったらしい。日本円六万円程と他に免許書と銀行のキャッシュカードを入れていたと言う。どうしてそんなものを持って来たのかと、一悶着する。取りあえず日本に電話を入れ、カードを止める。スタートからつまずいていたとがっくりする。

八時に〇階で朝食をとる。私達以外に二組の客がいた。バイキング方式で黒パンとライ麦の乾パン、シリアル類が並び、他にハムやソーセージが豊富に揃えてある。量が結構多いので、思ったより宿泊客がいる様である。

一〇時に女性が迎えに来てくれた。マーリース・グランバッハさんである。モーゼルワインを輸入する日本の知人から聞いていた人である。四〇歳過ぎに見えたが、歳は聞かない。口調の静かな賢そうな婦人であった。やはり日本語で書かれた名刺を持っていた。彼女は挨拶を済ますと今日の予定を聞いた。モーゼルの河畔を車で巡り、その後トリアというこの辺りの中核的な都市まで行き、ローマ時代の遺跡を見学してはどうか、望むなら、ワインセンターにも案内すると言う。無論、私達に異存はなく感謝してお願いする。

車で一五分ほど走るとワインセンターに着いた。モーゼル地域のワイン生産者協同組合中央醸造所である。果汁圧搾設備、貯蔵設備、ビン詰設備等が整えられている。生産量はこの地域の二五%を占めていると言う。
グランバッハ女史は私達を資料館へ導き、モーゼル地域のワイン造りについて、その歴史や現状を話してくれた。そこには古い巨大な木樽や手動の圧搾機、樽を運ぶ時に使った修羅の様なもの等が展示されており、館内はワインの香りが醸し出されていた。

館員らしい中年の男性がいて日本語のビデオがあると言うので、ビデオ室に入る。男性はグラスを持ってきて白ワインを注いでくれる。二十分ほどのテープでモーゼルワインのことが簡潔に説明されていた。一応の見学を終え、
ワインセンターの玄関に戻ると、ワインの小瓶や土産物が置いてあったので、絵葉書を数枚買って外に出る。

車で十分ぐらい走った時、小生のカバンが無いことに気付く。ワインセンターにとって返すと、やはりビデオ室に置き忘れてあった。グランバッハ女史に恐縮しながら、また車に乗る。

町を抜けるとモーゼル川が近づいたり、隠れたりする。川を挟んだ両側の山肌一面にぶどう畑が続き、すそ野には菜の花畑が広がっている。みち子さんは急斜面に作られたぶどう畑に驚き、感心をしていた。女史がシーズンになると辺りは色付き、絨毯を織りなす様になると言う。そうだろうと思う。彼女の実家もそうだが、家族ぐるみでぶどう畑の世話をしており、収穫時期にはポーランド辺りから季節労働者が来ると言う。なるほどと思う。

街道沿いに小さな集落を幾つか通り過ぎる。民家の佇まいは閑静で、人影は余り見当たらないが、古くからの暮らしの息遣いが感じられる。何とはなしに、木曽路の風景を想い浮べていると、車の走り方に緩急のあることを気付く。グランバッハ女史の奥ゆかしい心遣いである。いい所ですねと話すと、彼女は少し笑顔をつくり、モーゼル地方の歴史を語ってくれた。

このモーゼル地域は元々ケルト人が住む処であった。ケルト人とは元前千五百年頃、中央アジアの宗源からヨーロッパに入った印欧語系の民族で、今のドイツとフランスにまたがるモーゼル川流域を本拠にして、やがてスぺインからバルカン半島にまで活動地域を広げ、ローマ帝国と対峙するまでになった民族で、ローマ人からはガリア人と呼ばれた。そしてローマ軍の圧迫を、更にはゲルマン人の侵入を受けたケルト人はヨーロッパ大陸からその姿を消した。今、ケルト人の残存する処は大陸を離れたスコットランド・ウェールズ・アイルランドとフランス北部の半東・ブルターニュ地方だけである。私の今回の旅はケルト人の故地ともいえるモーゼル川流域の地を見たいと思った故である。

紀元前一世紀頃、ガリア戦記にも書かれているようにローマ軍がモーゼルの地まで来て要塞と町を造った。やがてゲルマン人、つまりドイツ人の祖千が移り住む地となるが、グランバッハ女史の話ではフン人やサラセン人も来ており、最近では第二次大戦後にフランス軍の駐留地区になっていた、それ故、この地方には髪の毛や肌の色に先祖を偲ばせる人々がいると言う。小生が日本人はいなかったのかと聞くと、昔、日本から来た男に息子がいて、その息子がベルンカステルの警官をしていたことがあったが、その後はいないと話してくれた。口調はあくまでも静かであった。

空が少し曇ってきた。モーゼル川を一望できる岡の上のレストランに急ぐ。なるほど、そこは眺めのよい場所で、レストランが一軒建っており、広いテラスが見晴らし台になっていた。モーゼル川の景観を写真に撮っていると雨が降り出したので、慌ててレストランの中に入る。グランバッハ女史は、このレストランの眺めは良いが、料理は期待できないと言う。子牛の串焼きとアスパラガスのボイル料理を注文する。女史はアスパラガスだけであった。

料理が出るまでの間、日本から持ってきた土産を彼女に渡す。和紙の貼絵でそれぞれ五種の花をあしらったコースターと箸箱と箸の夫婦セットである。包みを開くように促すと彼女はコースターを取り出して、恐る恐る花模様のところを指で触りながら、VIPゲストに使うと言う。ウエイターが来てめずらしそうに覗き込む。夫婦箸の説明をして、これは旦那さんへと言うと、彼女は一人身であることを告げる。ドイツでミセスというのは既婚者に限らず、年齢による使い分けだと言う。小生は肯き、次の言葉を捜していると、彼女は日本に行った時にもよく間違われた、と続けて言う。料理が出た。そんなに不味くはなかった。


トリアに向かう。人口一〇万人ぐらいの町で、この辺りの中心都市でもある。女史は街を歩いて案内するつもりであったが、雨のため車で回ると言う。大きな寺院の前に着き、車を置いて中に入る。昔の聖者の衣が所蔵されており、クリスチャンにとって高名な寺院だということであった。確かに平日の雨の中であっても結構多くの参観者がいて、見学したり祈ったりしていた。外に出ると雨脚が強くなっていた。

雨の中、グランバッハ女史は一本の傘をみち子さんのために使い、自身は濡れながら車に向かう。その態度は爽やかであった。心で頭を下げる。車に乗り、ローマ時代の遺跡である城壁を一回りする。途中に発掘中の崩れた建物の遺構があり、中の様子を垣間見る。トリアの町を一望できるという場所にレストランがあるのでお茶でもどうか、と女史が訊く。ただ、今日は月曜日なので休業しているかもしれないとも言う。取りあえず行く。晴れた日には、さぞかしの眺めと思われる場所であった。案の定、レストランの門扉には鍵がかかっていた。

一五時頃ホテルに帰る。グランバッハ女史に今日の夕食を御一緒頂きたいと誘うが、彼女はこれから会社で仕事があり遅くなるので遠慮したいと言う。無理強いはしないことにした。明日の朝は九時半に向かえに来て、列車の時刻に間に合うように駅まで送る、と言ってくれる。謝意を示して、彼女をホテルの前で見送る。

部屋で服を着替えて少し休み、一八時頃食事に出かけた。今日は橋を渡り、川向こうの町まで足を延ばすことにした。と言っても歩いて一五分程である。四・五軒のレストランを見かけたので、どこがいいかと思って、道にいた男性に訊くと、その男性は、ここが良いとすぐ横の店を示す。

店内に入るとカウンターとテーブルに別れていた。ウエイトレスが来たが言葉が通じないので、隣席にいた二人組みの男性に応援を求めると、その一人が快くメニューを説明してくれていたが、急に小声で橋向こうに良い店があると言う。トニーに教えられたあの店である。今日はこの店でいい、と言うと豚肉のフリッターを薦めて注文をしてくれた。他にサラダとビールを頼む。隣席の二人組にもビールを渡す。もう一人の男の髪型が段々刈りの縞模様なので初めて見たと言うと照れていた。やはり料理と共に、じゃが芋が一盛り出た。料理の味はまずまずであった。食べていると、道にいた男性が入ってきた。この店の人間であったらしい。

ホテルに戻る道で、みち子さんが左足を引きずりだした。馴れない靴を履いて歩いため、踵の皮がめくれて血が出ていた。ホテルで長い絆創膏を貰い、切って貼る。ワインセンターで買い求めた絵葉書に一筆入れ、日本に置いて来た娘や今回のことを知る友人に宛て投函、眠りに就く。


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