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パリ、セーヌ川とルーブル博物館の風景

五月十二日(水)

やはり三時頃に目が覚める。みち子さんも同様である。無理にもう一眠りするが、なかなか寝つかれず六時過ぎに起きる。みち子さんも起きていて、二人でガイドブックや地図を見ながら今日の予定を話す。八時前に朝食をとる。アメリカンスタイルのバイキングであった。

一〇時に中村青年と共に、ホテルを出る。セーヌ川の船便でノートルダム寺院まで行き、戻る道すがら、あちらこちらを見て歩くつもりであったが、セーヌ川の船便は、乗った所に戻ってくる遊覧船なので、途中で降りることはできないと言うので、セーヌ川を北沿いに歩いて行くことにする。

河畔には高く茂った街路樹が続く。何の木だろうと言いつつぶらぶら歩く。パリ万博の建物というグラン・パレを左手に見る頃、大通りの中央道が地下に潜る入り口付近に金色のモニュメントがあった。ここはダイアナ妃が事故死した場所だと教えてくれる。モニュメントそのものは以前からあり、ダイアナ妃の事故とは別のものだが、今では妃の追悼碑の様に扱われていると言う。側に行くと、手紙、写真、花束、落書きが散らばっていた。

金ぴかの像が立ち並ぶアレクサンドル三世橋を横切る。この前も思ったが、ヨーロッパの都市には銅像や記念塔の類いがやたらと多い。力を顕示する文化には何となく馴染めないものがある。川の向こう岸に東京駅を立派にした様なオルセー美術館の建物があった。少し行くと、さほど大きくない橋があり、人が群がっていたので近寄ってみる。木板を使った歩行者専用の橋で、中沿いにアフリカ芸術として黒人と白人の戦いの場面をモチーフにした創作物がいっぱいに並んでいた。怨念か芸術表現なのか、見ている内に、だからどうなのだという気になった。

ルーブル美術館の長い建物の裏側を通り過ぎると、ボン・ヌーフという橋があった。パリで一番古い石橋だそうである。ノートルダム寺院が見えてきた。寺院の前の大広場に着いた頃は一二時になっていた。二時間歩いたことになる。近くのクレープの店に入る。カフェ・オ・レとドライ・クレープを注文する。クレープにはソフトとドライがあり、ソフトは玉子と砂糖が入った甘いもので日本のクレープと同じおやつだが、ドライはそば粉の生地を焼いた薄皮にハムや野菜を包んで食べるもので、主食代りにする。タコスの様な感じであった。


寺院の入口に向かう。広場に鳩がいる光景はお馴染みだが、ここは鳩だけでなく、植込みの中に雀も沢山いて、観光客の手や肩に群がり餌を啄ばんでいたのには驚いた。ノートルダム寺院の中は広くて薄暗く、高い天井の壁面にはステンドグラスが輝いていた。

地下鉄で一つ戻るとルーブル美術館である。車両の中で楽器を奏でる者がいた。カメラを向けると手を挙げて応じてくれる。そう言えば、傷痍軍人の姿を見かけなくなって久しいことを思い起こす。地下道が美術館の入口に通じていた。中村青年に仕事に戻るように言い、一九時に凱旋門の角で会うことを約束して別れる。ルーブル美術館は広いので、お目当ての物から探し歩くことにした。スフィンクス、シェリーの翼、ミロのヴィーナス、モナリザを見て回る。どれも手の届く距離に無造作に置いてあったが、モナリザはガラス張りになっていた。画面に傷を受けた後からそうなったと言う。入館した時にトイレで会った年配の中国人夫婦と所々で出会い、その都度カメラを交換して写し会う。やはり名物コースなのであろう。

それにしてもルーブル美術館の所蔵物の夥しい量には圧倒される。広い館内に所狭しと置いてある。古代オリエントやアフリカの遺物が、こんなに多くこのヨーロッパに所蔵されていること自体に腹立ちと悲しみを覚えた。絵画の部屋も大小様々の作品が展示されていた。その多くは人殺しと祈りの絵であった。やや気が滅入りながら美術館を後にする。

地下鉄で三つ戻ったCLEMENCEAUという駅で降り、シャンゼリゼ通りを歩くことにする。まだ一七時過ぎである。少しばかり行くと、みち子さんは足が痛いと言う。モーゼルで傷めた踵の靴擦れである。道端の露店で水を買い、通りの公園に入ってベンチに座る。地面に紙を敷いてみち子さんは靴を脱ぐ。小一時間程休んでからまた歩き出す。

マロニエの並木の向こうに凱旋門が見えた。シャンゼリゼ通りのゆったりとした並木道には所々にカフェテラスが出ていて、人々が時間を楽しむ様にくつろいでいる。通りに面したショッピング街は奥行きが広く、裏道に通じたモール街になっている。みち子さんは足を引きずりながら店を見て回っている。障子を使ったウィンドーディスプレイを見つけ、面白がって小生に教えてくれる。表通りに戻り、リドの前を過ぎ、凱旋門に到る。凱旋門では音楽隊が出て、何かの式典が行われていた。中村青年はまだ来ていない様子である。一九時には少し間があるので近くのカフェに入り、みち子さんの足を休ませることにする。

雨が降ってきた。みち子さんをカフェに残し、凱旋門に出向く。中村青年はまだ来ていない。もしやと思いリドの前まで行くが、やはりいない。再び凱旋門に戻ると来ていた。地下鉄が遅れたと言う。今夜の食事を予約している店は、地下鉄で一駅先にあるということなので三人で向かう。

街角にあるTAIRAという日本人シェフの店であった。中村青年は、知る人ぞ知る店でパリの著名人もよく来ると言う。一〇卓程の店内に日本人客二組と地元客二組がいた。日本人シェフが私達の席に来ると中村青年が挨拶をする。魚が中心のメニューということなので、前菜とマグロのオイル漬け、サワラのホワイトソース、及び白ワインを頼む。フランス料理に懐石料理の盛り付け手法を取り入れている様である。シェフに懐石を何処で習ったかと聞くと、自分は日本で料理を習ったことはない、と気色ばんだ口調で答えるので、小生は少し鼻白む。味はそこそこであった。みち子さんは、こちらの方が見栄えはするが、マグロのオイル漬けの味は昨夜の店の方がおいしいと言う。途中、地元客が二組入ってきた。人気があるようだ。三人で一三〇〇フラン余りであった。

夕食後、三人でリドに行く。社長の佐藤さんから奨められていたものである。但し、ディナーセットは高くつくので、観劇だけにするとよいと言うことであった。二二時頃入る。一人三七五フランの料金を払う。インド系の風体をした団体客がバスで着き、入って来たところであった。館内はほぼ満席になりかけていた。私達は二階の二列席に案内されて、ほどなくショウが始まった。歌劇、コント、奇術、トークが次々と繰り出され、小気味のよいテンポで進んでいく。外国人客を意識した配慮が見られ、盛んにパリ、パリが連呼されていた。なんとなく、東京や大阪の大型キャバレーを思い浮かべた。勿論、規模やレベルは違っていた。二時間余りの公演であった。ほぼ連日に亘り興業されているとは、やはり世界のパリであると感心する。

タクシーでホテルに戻る途中で、中村青年から知人の児玉さんがこの二月に退職したことを知る。MR・ドーナツの仕事仲間であった児玉さんと一緒に研修を受けたのは二八年前になるのかと指を折る。
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