images_20140926230602a6e.jpg
バチカン市国のスイス傭兵、十五世紀からの伝統がある
傭兵の採用基準は身長が百七十五cm以上で、伍長以下は独身が条件とか

五月一四日(金)

今日は半日コースの市内定期観光を手配しており、八時一五分頃ホテルのロビーでピックアップしてもらう。若い女性が二人で来て名前の確認をする。ホテルの近くにマイクロバスを待たしていて、中に先客が七、八人いた。更に四、五ヶ所を回って客を拾い、九時頃バスセンターの様な所に着く。大型バスが何台も並んでいて、マイクロバスの客を区分けして収容していた。まるで観光客のスィッチ・センターである。

日本人女性ガイドが来た。彼女が日本人は三人だけなので、イングリッシュのバスに乗って、前後の席に一緒に坐ってくれと言う。先に若い日本人女性が席についていた。その隣にガイドが坐り、私達夫婦は前に坐った。ガイドの有り様は、視線を合わさず、紋切り型の口調で、疎ましげに応対する。みち子さんと若い女の子にはガイドの態度は癇に障るらしい。確かに、海外に渡り住んでいる日本女性の中で、特に異国の男性と暮らしている人によく見かけるタイプである。屈折したものが体現化されていると思うと気の毒になる。

同行の女の子は息子と同じ昭和四九年生れで、奈良のシャープに勤めており、天理に住んでいる、出身は青森県だと言う。一人旅で両親には知らせていないと聞いて、みち子さんは女の子に小言を言い出す。その子は明日にはバス便でフィレンツェに行くらしい。私達のバスが動き出した。

バスは一〇分程走って停まった。最初の観光ポイントである。案内に従って皆と一緒に行くと、トレビの泉であった。一応の見物を終え、パンテオンまで歩く。途中に石柱が並んだ古い建築物があり、多くの凹んだ傷跡が付いているので、大戦時の弾痕かと思っていると、宝石が埋められていた跡だと聞く。奈良の古刹と同様、ローマの建築物も当初は金ピカであったようだ。

パンテオンに着く。紀元前二七年建立の古代ローマの神殿跡であるが、七世紀初期にカトリック教会となったらしい。中に入ると正に伽藍堂であった。天井中央の吹き抜け部分で四三メートルの空間構造を保っているらしい。壁面の一ヶ所にラファエロの墓があった。

五分程歩いて、古代ローマの競技場跡であるナボーナ広場に行く。ベン・ハーも斯くと思われる、大トラックの形状が残っていた。トラックを三分して、ムーア人の噴水、四大河の噴水、ネプチューンの噴水がある。中央にある四大河の噴水の人物像が手を伸ばしているのは、向かい側のサンタニューゼ・イン・アゴーネ寺院の建物が倒れないように支えていると俗に言われているが、寺院は像より後にできたものだと日本人ガイドが説明をしてくれる。小生が気持ち良く接しているためか、彼女も徐々に和んで来ているようだった。バスが停まっている道端に可愛い電気自動車があった。

テベレ川を渡って、バチカン市国に行く。八億人クリスチャンの総本山である。サンピエトロ大聖堂が荘厳な構えで建っている。ガイドがこの後どうするかと訊く。ここがコースの最後の場所であり、一時間後の一二時半にバスが出るので、一緒に戻るか、ここで別れるか、ということである。時間の余裕があれば、バチカン博物館に行き、門外不出の名画を観ることを奨めると言う。私達も天理の女の子もここで別れることにした。

サンピエトロ寺院は一六世紀初頭から一二〇年かけて、ラファエロやミケランジェロといったルネサンスの巨匠が建築工事を受け継いでいきながら、完成したと言う。寺院の入口では入場者の肌の露出をチェックしていた。中に入り、豪華な大円屋根を望む。空間の造形美という表現が相応しいのかもしれない。静寂な雰囲気が漂っていた。祭壇には無数の蝋燭が燈っていた。蝋燭を燈して拝むという姿には、お寺という心理的な親しみを覚えた。

広い円形の回廊を左に歩くと、バチカン博物館へ通じる道があり、横がバスセンターになっていた。露店でアイスクリームを買い、足を休める。ついでに、帰りのバスの切符を自動販売機で買ったが、紙幣の読み取り具合が悪く、何人もが往生をした。立派な門構えの建物があり、美術館の入口かと思い入りかけると、バチカンのスイス兵がいた。美術館へ行くのなら、この先の角を左にまがれと道を示してくれる。緩やかな登り坂の歩道の途中で、人通りが混雑してきた。美術館の入口に続く行列の末尾であった。ガイドが時間の余裕を持ってと言った意味が解かった。

腕にスカーフを掛けて子どもを抱いた女が物乞いに回っていた。彼女がコインを落としたので拾ってやると、小生に付きまとい、子どもを見せながら、しつこく金をせがむ。後ろにいた男性が、大声で彼女を追い払い、小生のベルトバッグを指差す。チャックが開けて中身が出かけていた。あっぱれと感服。

バチカン美術館に入り、お目当ての「最後の晩餐」を探して回る。なかなか見つからず、広い館内を二周する。多少くたびれながら、近くの女性客に訊くと、ここにあるのはミケランジェロの「最後の審判」であり、レオナルド・ダ・ビンチの「最後の晩餐」はミラノにあると言って、頭上を示す。振り返り上を見ると、壁面に荘大に描かれたミケランジェロの「最後の審判」があった。ウカツであった。

みち子さんが足を引きずりながら、帰りたいと言うので、市内バスに乗る。テベレ川を渡り、ベネチア広場を通って、テルミニ駅に着く。二〇年前に見た「終着駅」を今一度見ておきたいと思って降りたが、みち子さんが帰りたがるので、タクシーでホテルに戻る。一〇分足らずの運転で四〇〇〇〇リラだと吐かす。文句をつけると、運転手は料金表を示し、市内均一だと説明する。小生がノンチップだと言って料金を渡すと、彼は肯いて去って行った。

一九時前にスペイン広場へ食事に行く。ガイドブックに書いてあるトト・アッレ・カッロッツェというレストランが道角にあり、日本語のメニューが掲げてあった。一九時二〇分開店と言うので、近くのテラスでワインを飲んで待ち、一番客で入る。窓側の席を望むと、リザーブの札が無いのに予約席だと言って、奥隅の小さな席に連れていく。席を替えろと言うと、全部予約だと言う。次に来た日本人カップルも奥隅に連れていかれた。此奴等と思い、注文をキャンセルして店を出る。日本の旅行業界の矜持を疑う。

近くに料理四品ドリンク付きコース三〇〇〇〇リラ、と張り紙をした店があった。取りあえず何処でも良かったので入る。四品の内容はオードブル、パスタ、ステーキ、デザートである。みち子さんはボンゴレ・スパゲッティ、私は隣席の客と同じものにする。それはニョキといって、水団をトマトソースで和えたようなものであった。デザートにはケーキ、ドリンクは白ワインを頼んだ。結構、客が入って来る店であったが、味は左程でもなかった。どうも大衆食堂の様な店だったようだ。

薄暗がりのスペイン広場では、破船の噴水の周りやスペイン階段にまだ多くの人がたむろしていた。ホテルに戻ると近畿ツーリストの松村氏からFaxで新聞が届いていた。何よりのものである。彼の心配りには本物の味がする。みち子さんは足の痛みが辛いと言い靴を脱いで横になる。


スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://houan7010.blog.fc2.com/tb.php/472-bd3e5b55