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コロッセオ(コロッセウム)と呼ばれる古代ローマの競技場
その競技とは、奴隷と奴隷或いは奴隷と猛獣の死闘であった

五月一五日(土)

バイキングの朝食を済まして、一〇時に部屋を出る。みち子さんが待望するオリエント急行は、今夕一七時のチェックインタイムである。昼間はこのホテルのベルキャプテンに荷物を預けておき、市内を観光する予定である。チェックアウトをすると、朝食代十一万六千リラの追加料金が示された。バウチャーに朝食込み記されていると言うと、それはコンチネンタル・スタイルであって、あなたはバイキングを食べていると答える。それなら、ルームナンバーを確認していながら、席に案内したのは何故か、コンチネンタルは何処に用意されていたのかと畳みかけ、少し睨み付ける。すると一人分で良いことになった。荷物を預かってもらうこともあり、矛を収める。

ホテルの隣にある美容室に行き、みち子さんのヘアーセットをする。男性美容師と女性助手がつく。髪の毛を逆立ててから、順々に納めて行く。なかなかの手際である。小生が横で見ていて写真を撮るので、意識をしている様子であった。メイクアップも頼むと年配の女性が担当した。

美容室を出てスペイン階段に向かう。みち子さんが初めはどうなるかと思ったが、あの美容師は結構上手だと言う。どうもメイクは気に入らない様子であった。バタ臭くなったともいえるが、目元がクッキリしているので、こちらではそれで良い、と小生は世辞を言う。スペイン階段の上に似顔絵書きが何人も席を出している。その中の上手そうな一人にみち子さんの絵を頼む。周りに人が集まり眺めている。三人連れの若い東洋系の女性がいたので、日本人と思い、声をかけると韓国人であった。そういえば、バチカンでも若い韓国女性のグループを目にした。以前に比べ、日本の女の子と区別がつきずらくなったと感じる。

昼食はこの前のNAUTILUSという店にもう一度行くことにした。昼はスタッフとメニューが変わっていた。ボンゴレとチーズ・スパゲッティを食べる。店の近くのBARBERINIという駅から地下鉄A線に乗り、コロッセオに向かう。ローマの地下鉄はA線とB線があり、テルミニ駅で交差している。料金は全線均一の一五〇〇リラで、市内バスと同額である。

コロッセオの地下鉄駅を出ると、目の前に古代競技場の威容が広がる。入口に近づくとローマ兵の姿をした者達が、観光客を相手にポーズをとっていた。一万リラを払って中に入る。以前に写真を撮った場所を思い出さした。それにしても、斯くも多くの席から、人殺しを楽しみ、死を前にして脅え苦しむ姿に喝采を送ったとは、人間の持つおぞましさに気が滅入る。階段をあがると、フォロ・ロマーノの遺構が望めた。下に降りて外に出る。

コンスタンティヌス帝の凱旋門からパラティーノの丘に沿って、途中で道を尋ねながら、サンタマリア・イン・コスメディアン教会への道を歩く。教会そのものは、六世紀にギリシャ人によって建立されたというものだが、その入口にある「真実の口」が観光のお目当てである。入口付近には人が群がり、代る代るその石像に触れて、写真を撮っていた。小生も、みち子さんを石像の前にやり、写真を撮る。

教会の中は、厳かな雰囲気があった。みち子さんが坐りたいと言うので、後ろの壁際にある腰掛けの様なものに二人で坐った。足が下に届かなかった。熟年の夫婦連れが寄って来たので、腰をずらして場所を空ける。夫婦は礼を言って、横に腰掛ける。ドイツから来たと言う。私達がモーゼルに居たことを知り、打ち解け合う。男性の膝頭は小生のそれより二〇センチ程先にあり、床の上で足首を重ねている。話す視線は合っていた。それに気付いたみち子さんは、座高はかわらないのにと言ってくれる。

寺院の前は大通りに面していた。フォロ・ロマーノまで歩こうとすると、みち子さんがもう歩きたくないので、バスで戻ろうと言い出す。バス停で路線の案内を見ると、九五系統のバスが最初に乗った地下鉄の駅を通ることが分かった。スペイン階段で見た韓国の女の子達が来て、馴れた様子でバスに乗って行った。バス待ちをしている人に切符売場を尋ねると、一駅向こうだと言う。とはいっても、二〇〇メートル位の距離なので移動する。しかし、切符売場は見当たらない。まずは乗ってしまおうと思い、バスを待つ。

次々にバスが来るが、違う系統のバスばかりである。三〇分程してあきらめかけた頃、九五系統が来たので乗り込む。料金をどうするかと見ていると、大きく開く扉が前後にあり、人が自由に乗り降りしている。切符や料金の受け払いは見られない。私達も目的地に着き、ままよ、と降りる。ホテルに着いたのは一七時を過ぎていた。一八時にタクシーを呼ぶように頼み、ロビーで休む。

時間通りタクシーが来た。荷物と共に乗り、一八時二〇分頃にオスティエンセ駅に着く。タクシー料金は市内均一で四〇〇〇〇リラだと言う。そうだったのかと思う。オスティエンセ駅はローマの南はずれにある比較的小さな駅で、利用客も少ない様であった。オリエント急行の運行準備には具合が良いということであろうが、旅情としてはテルミニ駅であって欲しいと思った。駅の入口横にVENICE.SIMPLON・ORIENT.EXORESSの立て看板とデスクが出ており、すでに受付けが始まっていた。ホテルボーイの様な制服を着た係員が名前とチケットを確認し、持ち込む荷物を使用(キャビン)、不用(スルー)の区分をして預かってくれる。私達はS一号車の〇一室であった。マネージャーとおぼしき男が、ナンバーワン・ルームと口にする。


構内に入ると、すぐ前のホームにオリエント急行の紫紺の車輌が連なっていた。一三輌編成で食堂車三輌、バーサロン車一両、ブティック車一輌が中央に位置している。辺りでは乗客らしき人達が列車をカメラに収めていた。夫婦連れがやって来て、シャッターを押してくれと頼むので、こちらもカメラを渡す。受付に戻り、乗車時刻を確認すると、一九時四〇分だと言い、ディナーは二〇時三〇分と二一時に分かれるが、どちらにするかと聞く。みち子さんが二一時にして欲しいと頼む。待合室にいると、先程の夫婦連れの男性が入ってきて横に坐った。私達が結婚二五周年でヨーロッパを旅行していると話すと、彼は明日が女房の誕生日なので、ベニスで四泊するつもりだと言う。結婚一六年のイギリス人であった。

定刻になり、列車に乗り込む。S一号車は寝台車三四二五という一九二九年に英国バーミングで建造された車輌である。客室には私達の荷物が置かれてあった。室内は思ったより狭い感じであるが、マホガニーと金縁を基調にした内装は優雅な落ち着きを持っている。〇一室はトイレの隣であった。それが良いのかどうかは解らない。

キャビン・スチュワードが来て、室内の使用方法を説明してくれる。チップとして五万リラを渡す。早速、着替えを始める。みち子さんはこの日のために和服を持って来た。薄い緑地に萩を描いた、帯と揃えの京友禅の付け下げである。ディナーの服装が男性はタキシードまたはダークスーツ、女性はイブニングドレスと案内されていたためである。小生も手伝うが、太鼓造りに手間取り気が焦る。二一時五分頃に漸く着付け終える。みち子さんがディナーを二一時にしてくれと言ったことに納得ができた。
通路に出て、食堂者車向かう。

食堂車の中は着飾ったカップルで賑っていた。二〇時三〇分の組である。みち子さんを前にして中に入ると、彼女の着物姿に視線が集まる。小生は低く静かに、グッド・イブニング、と言う。例のトレイン・マネージャーから日本人は私達だけと聞いているので気が楽であった。みち子さんに背筋を伸ばし、ゆっくり歩くように言い聞かす。スチュワードが大股で先へ案内する。みち子さんが小走りになりかけるので、慌てずゆっくり歩けと再度声をかけ、進んで行く。少し遅れて来たため、食堂車の客席はほぼ埋まっており、通る先々のテーブルから視線を受ける。案内された席は三輌目の奥の方であった。従って、乗客全員の前を通って来たことになる。

飲み物を訊きに来たので、白ワインを頼む。レストラン・マネージャーに袖が長い着物は、ナイフとフォークが使いにくいため、箸を持参したので料理は小さくカットして、小皿を添えてくれるように言い、漆塗りの夫婦箸箱を置く。快く対応してくれたが、何故か小皿に金属・ボールを乗せて持って来たので、皿だけで良いと言う。料理は細切れの様になっていた。更に、卓上でサラダを刻みかけるので制止する。メイン・ディッシュは蟹のクリーム煮であった。みち子さんがおいしいよと言う。小生は居眠りをしていたらしく、皿が替わったことに気付かなかった。

コーヒーを飲み、部屋に戻ると、室内がきれいに片付けられて、二段ベッドがセットされていた。着替えのため脱ぎ散らかしたたままであったはずの衣類が、一枚づつ畳んで置かれていた。感心と気恥ずかしさを覚える。着物を納めてベッドに入る。列車は時間調整のためか、よく停まる。

窓を眺めながらウトウトする。
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