imagesCAERBMF5.jpg
ヨーロッパ・アルプス山脈の山間に沿って走るオリエント急行

五月一八日(火)

七時前にチェックアウトをし、荷物をカウンターに預けて、朝食にする。この日も、日本人の団体客がバイキングに群がり、順番もマナーもなく騒いでいた。私達の隣の席に、品の良い老婦人とその息子らしい人が坐った。大阪からツアーで来た、昨日の朝食でも私達を見かけたので覚えていると言う。あなたがたは、尋ねるので、二人でヨーロッパの列車旅をしていると話す。語学が達者でよいですねと言われ、苦笑する。

七時半に駅へ行く。朝の光芒を受けたサンタルチア駅が眩しかった。その名前が為せるものだろう。案内板で列車とトラック番号を確認してホームに向かうと、八時〇二分発ウィーン行き急行は既に入っていた。一等車両には六人掛けのコンパートメントルームが五室あった。私達の指定室には四人の先客が坐っていた。夫々が大荷物を持参していたので、全員が困惑する。他の部屋は殆ど空室なので、隣室の人に事情を訊くと、私達の部屋だけが予約席で、他の部屋は自由席だと言う。それでは、と反対隣の空室に二人で入る。荷物を移動させると、予約室の面々の愛想がよくなった。

サンタルチア駅を出て、ベニスでもう一駅に停まってから北上して行く。ベニスを早朝に出て、ウィーンへ夕方に着く列車は急行だけで、特急は昼と夜の運行になっていた。元々はベニスを夕方に出て、ウィーンへ朝に着くオリエント急行を手配していたが、みち子さんが日中にアルプスを通りたいと言うので、この列車にした。特急列車には停車駅の案内パンフレットが置いてあったが、急行にはなかった。とはいえ、始発に乗り、終着で降りる旅なので気は楽であった。列車は北イタリアの平原をと走り抜けて行く。


左手に山影が見え出したが、やがて、また遠ざかって行く。一〇時過ぎに、UDINEに停まる。五〇年配の男が大きなバッグを持って乗って来た。みち子さんは居眠りを始めている。列車はこれからアルプスの山間路線を走るのに、と気を揉みながら彼女を起こすが、殆ど熟睡していた。アルプスといっても外れの辺りであるが、それでも二〇〇〇メートル級の山が連なっている。TARVISIOを過ぎて、VILLACHに入るとオーストリアである。入国検査官が乗り込んで来て、乗客を確認して行く。

よく停まる急行である。小生が持っている地図や時刻表に記されていない駅名もあるので、地理が掴みにくい。前の男に、地図を見せて場所を聞くと、身を乗り出して説明をしてくれる。何処まで行くのかと訊くので、ウィーンと言うと、盛んに話をし出す。日本のガイドブックを示してヒルトンホテルと言うと、文字を見て、「カタカナ」と口にする。私達が日本人と知ると、日本語の単語を使い出した。彼はカナダのケベック市に住んでいて、仕事で世界を回っており、日本にも行ったと言う。私達の息子がモントリオールの大学にいることを話すと、大学は英語か仏語かと問う。英語のコンコルディアだと答えると、彼は良く知っている、いい大学だ、町はフランス語なので二ヶ国語が使えるようになるだろう、と言う。小生はそう願いたいと答える。みち子さんも起き出して、話を聞いていた。彼はKLAGENFURTの駅で、降りて行った。

民家の屋根が鋭角なドイツ風になっている。そういえば、途中で停まった田舎駅の土手に、民家の模型でアルプスの風景を描いていた所があり、みち子さんが面白がっていた。BRUCK・A.D・MURを過ぎて、しばらくすると、車窓の山並みが徐々に低くなり始め、やがて、平原が広がり、町並みが見えはじめた。一七時頃、ウィーンの南駅に着く。

ホームを出ると広いスロープが下の一階に通じていた。そこが駅のメインホールであった。両替をする(一シリング一〇円)。駅の前は路面電車の起点になっていた。タクシー乗り場に行く。運転手は英語を解せないが、ヒルトンホテルは分かった。ドイツ語圏ではウィーンをVIENNA・ヴィエンナと呼ぶ。一〇分位でホテルに着く。タクシー料金は八〇シリングである。部屋は四階の裏角で二方がガラスになっていた。

宮井さんという人の店が、このホテルの中にあるので出向く。前以ってオペラ座のチケットの手配をしてもらっていた。GIOCONDという名の店である。店内に現地女性の店員がいて、私達が行くと、すぐ日本人女性を呼んで来た。三〇歳前位の感じの良い人であった。宮井さんは日本に帰国中だが、話は聞いていると言い、連絡を取ってくれる。彼女は神戸出身でこちらの滞在は七年になると言う。宮井さんは尼崎らしい。まもなく、高橋さんという男性がチケットを持って来てくれた。料金は一人一二〇〇シリングであった。礼を述べ土産のコースターを渡す。彼は大阪出身で滞在十一年と言う。ベニスの青年も大阪であった。どうも倭寇以来、西国の人は海外向きのようである。

皇園という中華レストランに行く。やっと見つけたその店は、外装工事で天幕が張ってあった。中に客は見当たらず、バングラディッシュ人のウエイターが一人でいた。みち子さんが他へ行こうかと言うので、私は変な店なら高橋さんが教えないだろうと言って席に着く。店内は高級感のある中華風の造りで、卓上にはナイフ、フォーク、ナプキンがあり。台湾の中華式フランス料理を思い出す。ウエイターが注文をとりにきた。漢字のメニューに親しみを覚える。新鮮野菜、鍋貼、排骨・・、淡水魚・・、と白飯、ザーサイ、青島ビールを頼む。サラダ、ギョウザ、中国風スペアリブ、ニジマスの旨煮である。大きなギョウザで、なかなか旨かった。みち子さんは一〇日ぶりのご飯を頬張っていた。勘定は五〇〇シリング余りであった。ホテルに戻る。
スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://houan7010.blog.fc2.com/tb.php/480-0e837a7e