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軸は書家の「好日」、花は秋明菊と恐らく初嵐、卒塾者の庭のもの、一日で開いた
手前の子は娘の上の子、皆は私似だと云う

娘夫婦と新生児・上の子が出産里帰り、我が家が保育園になるのは承知
然しである、娘はあれこれ注文を付け、食事の好みに調理法、洗濯方法まで云々
今朝は娘たちの部屋前に燃えるゴミ籠置いてあった、今日はゴミ出しの日
私は保育園の園長と民宿のオヤジを掛け持ちするハメに・・まま、仕方ないか

前の記事で、私が三歳の頃に病気になり死にかけた話をした
私にその時の記憶は無い、父母とその薬売りの人の心の中にあるだけの話だ
こうして孫娘たちを見ていると、同じ年子で生み育てた息子と娘のことを想い起す
勿論、御本人たちには記憶も無ければ、自分たちの知らない話となっている
なるほどと、私の頭に浮かんだ言葉、「 人は人の心の中に生きる 」

自分と云う人間が、世に知られるところとなるのは母親の懐妊の報からであろう
そして、出産から赤ちゃん・幼児となり、自分自身の記憶の断片に残るのは四歳ぐらい
然し、小学校までのことは、自分より親や親戚、近所の方々の心の中に残る
小学校に入ってからは、近所や学校の友達、そして先生の心の中に残してもらっている

自分の死後は、自分の姿や息遣いを覚えてくれる人の心の中に生きることになろう
そう考えると、人の一生とは、人の心の中に生きている期間ということになる
自分の姿や息遣いを覚えてくれている人が全部、この世から消え去った時が自分の終焉
自分とこの世の繋がりが無くなった時になるのだろう、それがこの世との本当の別れ
そう考えると、寿命が延びた心地になる

先の記事、広島の保健所の係員に生後十ヵ月程度で引き渡した犬・「ゴン」のこと
今も記憶してくれる人が広島に居てくれた、然すれば「ゴン」は未だこの世に居るということ
私は、孫の記憶の中に自分の姿と息遣いをシッカリ残すべく、接していこうと思う
「 人は人の心の中に生きる 」、歴史上で名を残す話とは意味の違う話であろう
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