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茶友の家の庭に咲く山紫陽花、花言葉は「切実な愛」、因みに西洋紫陽花は「移り気」とか

 この茶友の武家茶道の師匠のこと、侘び数寄茶人として記しておきたいと思う

その御仁は大正生まれで、命日は平成六年六月六日ということだった
三年前に御仁の菩提寺にお弟子さん達十人程が集まり、墓参と一七回忌が営まれた
皆さんは二〇年近くも茶の稽古をしていないというので、私が献茶を点てさせてもらった
墓地でひと際目立つ大きな石垣の中に、たたみ一畳程の自然石の墓標が建つ
さぞかしの家柄であったろうと思われる墓であった
 
 御仁は病気がちで、奈良の町長屋に暮らされていたそうである
私の茶友が師事していた頃には、すでに妻子はおられなかったと聞く
御仁は茶の販売業ということになっていたが、商売は余りされていなかったようだ
生活保護を受けながら、清貧の中で茶を教えていらした様子である

 長屋は、玄関三畳に奥が六畳の二間、奥の六畳をカーテンで二つに仕切られていたとか、
半分は蒲団、残り半分が茶の稽古場で、教える弟子は四人が限度であったと聞く
週に二・三日ぐらいの稽古日だったので、弟子の数は常時一〇人ぐらいだったそうな

 茶菓子はアンパンを四切れにしたり、蒸かしたさつま芋を茶巾で絞ったものとか
それでも時間の経つのを忘れるぐらいの稽古であったと、その茶友は懐かしむ
稽古日以外でも、子供を連れてちょくちょく見舞いに寄っていたということであった
師の葬儀は、近隣の方と弟子で出し、寺へは弟子だけで行ったそうな

 一七回忌の参列者は、葬儀で師の遺骨を墓に埋葬した弟子の方々が来られていた
奈良の由緒ある神社の宮司、京都の大学教授、文化財研究所の方、著名な本屋の主人
そして和菓子屋の主人や伝統工芸家であり、入門は誰か一人が出で空くのを待ったと聞く
話では、日本文化研究家の米国婦人もその長屋に茶を習いに来ていたそうだ
一角の皆さんが異口同音に、当時を懐かしみ、師のことを尊崇の念で語られていた

私の知人とは別に、弟子であった本屋の主人の弟も私の知る陶芸家であった
大学を出た頃に兄貴に連れられ、その師の長屋に行った話をその陶芸家から聞かされた
その時に彼は、強烈な感銘を受けたという想い出を語ってくれた
師の長屋の部屋に入り、何気なく置いてあった平水鉢のすだれ蓋をめくると
水の中に白い睡蓮の花が入れられており、そこへ光が差して、えも云えず美しかったとか
今は芸術家として世で名を知られる彼が云う、記憶に残る美の感銘であったとか
師の周りにはそれなりの人達が常に集まり、茶を喫し、懇談が尽きなんだそうだ
自然にそんな雰囲気を醸成させる御仁だったのだろう

 ある時、どこかの新聞記者が来て、「茶とはなんだ」と訊ねたそうである
如何にも新聞記者らしい質問の仕方だが、師は曰く「茶は化け者じゃ」との一言
当時の師は道具類をあまり持っておられず、その多くは手放されていたようだ 
私はその話を聞きながら、本物の侘び数寄の姿を知った思いになった
茶友が見せた師の形見の茶杓、黒竹を削ったそれは、まさに「剄質にして雅文なるもの」

 惜しむらくは生前の師に、私は一度もお会いしたことが無かったことである
私が奈良に戻って暫くは、師も御健在でいらしたものをと悔やむこと頻り
一七回忌の献茶を済ませた後、再度その墓前に参り、一人で弟子入りを願った

「切実な愛」かどうか・・
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