2014.11.06 竹台子
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竹台子、天板は吉野杉、地板は何処産か分らぬが重みのある杉、竹は煤竹(すすだけ)
前の記事の続きながら、幼馴染の大工職人が風炉先と一緒に作ってくれたもの
巾二尺八寸、奥行一尺四寸、高さ二尺二寸(約91・43・66cm)である
柱は、手前側を勝手柱(左)・客柱(右)、奥側を角柱(左)・向柱(右)と呼ぶ

漢土から渡って来た台子は、巾一間・奥行二尺・高さ三尺余りの大きなものであった
茶では、表座敷とは別にある今の水屋として使ったようで、名のある寺院に今も見られる
茶の点前に使ったのは、鎌倉期末から室町期の僧・夢窓 疎石(むそう そせき)と云われる
夢窓 疎石は伊勢生まれ甲斐育ちで、奈良・東大寺で受戒し、京都・天龍寺の開山となる
竹台子は茶祖と云われる奈良の村田珠光が考案したもの、私は侘びた趣があると思う

新塗り台子点前は格式の高いものとされるが、使用例は松屋日記に記されたのが初めらしい
秀吉が台子点前を秘伝化させ、利休がそれを受けたようで、真行草と「乱置」があるとされる
織部・遠州・石州はいずれも将軍献茶に台子を用いておらず、遠州は台子の茶会をしていない
逆にそれが台子を高尚なものに押し上げ、皆伝の証という位置付けが成立していったようだ
いわゆる奥義や秘伝である、昔の上田流は「真台子の伝」とあり、相伝とはこれ一本であった

因みに、秀吉の奥秘十二段を許された者とは次の七名
豊臣秀次、蒲生氏郷、細川忠興(三斎)、木村重茲、高山右近、瀬田掃部、芝山監物
上田流の昔の相伝書には、「古田織部から秘伝された奥義」と記されている

私の竹台子は組み立て式にした、格式ばる気が無いのと、かさばるためである
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