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散歩で見掛けたダリア、キク科ながら和名は天竺牡丹(てんじくぼたん)、でもメキシコ原産
メキシコではダリアを食用に栽培しているとか、その球根を金平にすると美味いらしい

前のブログで竹台子は茶祖・村田珠光の考案になるものと記した
その珠光の竹台子は、「珠光一紙」と共に奈良の塗物商・松屋にあった、
寛永元年(1704年)奈良大火の後、大阪の豪商・鴻池家へ渡ったとされている
「一紙」は、今は京都・平瀬家に伝わるが、珠光の竹台子の在り場所は知らない
「珠光一紙」とは、珠光が一番弟子・古市播磨法師に与えたもので「心の文」と云われる
内容は含蓄があり、茶人の心得の原典になっているので掲載する

「珠光一紙」

> 比道、第一わろき事は、心のがまむがしやう也
こふ者をばそねみ、初心の者をば見下す事、一段勿体無き事共也
こふしやにはちかづきて一言をもなげき、又、初心の物をばいかにも育つべき事也
比道の一大事は、和漢のさかいをまぎらかす事、肝要肝要、ようじんあるべき
又、当時、ひえかるると申て、初心の人躰がびぜん物、
しがらき物などをもちて、人もゆるさぬたけくらむ事、言語道断也
かるると云事は、よき道具をもち、其あぢわひをよくしりて、
心の下地によりてたけくらみて、後までひへやせてこそ面白くあるべき也
又、さはあれ共、一向かなわぬ人躰は、道具にはからかふべからず候也
いか様のてとり風情にても、なげく所、肝要にて候。ただがまんがしやうがわろき事にて候
又は、がまんなくてもならぬ道也 銘道にいわく、

心の師とはなれ、心を師とせざれ

と古人もいわれし也 <


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