2014.11.19 清静にして凜
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工藤 俊作(くどう しゅんさく)、明治三十四年– 昭和五十四年、最終階級は海軍中佐
数年前に、敵兵を救助した駆逐艦の艦長としてテレビで紹介されるまで、私は知らなかった
小学校の頃から、戦記雑誌「丸」の愛読者だった私だが、その話は耳にした覚えは無かった
十八日の産経新聞に、「日本史の中の危機管理・埋もれていた美談・敵兵を救った武士道」が載った
そこに救助された元英国海軍中尉のサムエル・フォール卿の英紙への投稿文の紹介がされていた
平成十年四月に予定された天皇皇后両陛下の英国訪問で反日運動が起きていた最中の投稿だ
以下要約

>フォール卿が乗っていた巡洋艦は、大戦中のスラバヤ沖海戦で、日本海軍に撃沈される。
海に放り出され漂、流中のところを日本海軍「雷(いかづち)」に救助されたのだった。
このときの体験をタイムズ紙に投稿し、敵兵救助を決断した日本の武士道を賛美して、
その国の元首を温かく迎えようと国民に呼びかけたのだった。

スラバヤ沖海戦では、日本艦隊は英米蘭の連合艦隊15艘と戦い11艘を撃沈した。
海戦後たまたまそこを通りかかった「雷」の見張りが望遠鏡で遠方に漂流物を確認。
その漂流物は敵将兵らしく、その数なんと400人以上との報告が艦長にされた。
工藤艦長は、「潜望鏡は見えないか」確認させると見えないとの返答に救助を命令。
この海域では前日には味方の輸送船が敵潜水艦の攻撃を受けた危険海域だった。
そこを「雷」の乗員220名は全員敵兵の救助活動を行い、乗組員のほぼ倍の422名を救助。
壮絶な救助行動だったようで、救助中は敵も味方もない懸命な活動だったという。
「雷」の甲板は救助されたイギリス兵で埋め尽くされ、
撃沈された際に流れた重油が体中をまとわるのを日本兵は丁寧にアルコールでふき取り、
シャツと半ズボンと運動靴が支給され、熱いミルクと、ビール、ビスケットの接待がなされた。
その後、イギリス海軍の21人の士官が集められ、
工藤艦長が端正な挙手の敬礼をした後流暢な英語でスピーチをし、
「諸官は勇敢に戦われた。
いまや諸官は日本海軍の名誉あるゲストである」と伝えた。
フォール卿は、これは夢ではないかと何度も手をつねったという。


私が工藤俊介に唸ったのは、家族にすらこの話をすることなく世を去っていたということ
戦後の工藤は、誘われる要職は断り、妻の姪の病院で事務をしていた
まさに、サイレント・ネービーである
戦後、工藤の消息を探し求めて来たフォール卿が、工藤を訪ねたのは卿八十六歳
既に工藤は他界しており、訪ねた場所は工藤の墓であった

武士道とは語らぬことと見つけたり・・
「清静にして凜」
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