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佐久間勉艇長享年三十一歳の遺書、最後の部分

工藤俊作艦長の話から、思い起こしたのは佐久間勉第六潜水艇々長である
明治四三年四月十五日、ガソリン潜航訓練中の第六号潜水艇が遭難
佐久間勉艇長以下十四名全員が配置に就いたまま殉職する

このことは当時の日本のみならず、欧米の海軍関係者に深い感動を与えた
当時は、欧米でも潜水艇事故が多発しており、引き揚げられた艦内は惨状だった
死者は出口のハッチ付近に群がり、乱闘の様さえ残されているのが常態とされた
第六潜水艇のことは、日本で小学校の修身の教材となり、「責任感」を教えた
「沈勇」と称せられた当時のマスコミ等の風潮は、下の短歌にも表れている

 海底の 水の明りに したためし  永き別れの ますら男(お)の文
 (与謝野晶子 )

世の賞賛を受けた佐久間艇長の遺書は、手帳三十九頁に綴られたもの
遺書の冒頭は「小官ノ不注意ニヨリ陛下ノ艇ヲ沈メ部下ヲ殺ス誠ニ申譯無シ」で始まる
最後の部分を以下引用

>公遺言

謹ンデ陛下ニ白ス 我部下ノ遺族ヲシテ窮スルモノ無カラシメ給ハラン事ヲ 我念頭
ニ懸ルモノ之レアルノミ

左ノ諸君ニ宜敷(順序不順)
一、斎藤大臣  一、島村中將  一、藤井中將  一、名和中將  一、山下少將
一、成田少將  一、(気圧高マリ鼓マクヲ破ラル如キ感アリ)  一、小栗大佐 
一、井手大佐  一、松村中佐(純一)  一、松村大佐(龍)  
一、松村小佐(菊)(小生ノ兄ナリ)  一、船越大佐   一、成田綱太郎先生 
一、生田小金次先生

 十二時三十分呼吸非常ニクルシイ

瓦素林ヲブローアウトセシ積リナレドモ ガソリンニヨウタ

 一、中野大佐

 十二時四十分ナリ <

ここで絶筆となっている
私も、三十一歳という佐久間艇長の遺書に感銘し、その統率力に敬服した
然しと云うか、やはりと云うか、帝国海軍には違った見方があった
その話は次に
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