無題
ダイエーの旧マーク、平成十七年に亡くなった創業者・中内功氏には、このマークがダイエーだ
本日十二月二十六日を以って、ダイエーという名も企業も無くなることを新聞が伝えている
中内氏の死後、ダイエーがイオンの支配下に入り、本日吸収される

私は流通産業に身を置き、その中で送った人生であり、色んなことや人を見聞きした
今も思うのは、中内功氏の功績と偉大さである、ダイエーの追悼として前の記事を再掲したい

>流通革命の旗手・中内功氏のこと、再掲<

ダイエーの創業者、故中内功氏の続き話である
記事を書くにあたり、中内氏のことでネット検索をしてみて納得した
その量はイオンの岡田氏やイトーヨーカ堂の伊藤氏の倍以上である
故人故ということもあろうが、それだけ逸話や功績が多いというか大きかったのだろう

 ダイエーの凋落は平成に入る頃から始まった、バブルの崩壊と重なる
ダイエーの基本戦略は、土地を取得して店舗展開を拡げるやり方であった
対してヨーカ堂は、土地物件は賃貸で店舗展開をするやり方であった
土地取得の展開方法はリスクが伴うが、店を出せば客が入った時代はリスクが少なかった
それと、土地は値上がりを続けていたので担保価値も上がり続け、出店資金を賄った
賃貸方法は出店費用が少なく済み、撤退リスクも少なく、身軽で安全な策である
リスクに挑戦する中内氏と安全慎重に事を進める伊藤氏との違いとも云える

 土地の値上がりだけでなく、時代がインフレ傾向にあったこともダイエーの追い風となった
つまり、仕入れた商品が値上がりすれば、それだけ儲かり、リスクも軽減されるのである
しかし、バブル崩壊で土地は値下がり、時代もデフレ傾向になるとダイエーの凋落が始まった
その時代に最も適合した者は、時代が変化すると最も不適合者となる例えである

 更に、平成七年の神戸大震災の発生は、ダイエーにとり大きな痛手となった
神戸が企業発祥の地であるダイエーは、傘下のローソンを含め百店以上が被災したのであった
中内氏は「店舗照明は消すな、スーパーはライフラインや客が来る限り店を開け」と号令
三日後に被災地に入り、国より早くフェリーやヘリコプターを使い、物資搬入の指揮をとった
後で聞くと、あの時のダイエーの社員は我が自身が被災したにも拘らず必死に働いたという
日本が大災害で暴動が発生しないことを世界は奇跡と伝えた、事実世界の常識では稀有だろう
その極限状態の中にあって、中内氏とダイエーは隠れた功績者と云える

その六年後「時代は変わった」と云って中内氏はダイエーの経営から身を引いた
後は、彼の私財を投じて設立された「流通科学大学」の理事長職だけに専念
平成一六年に芦屋と田園調布の自宅及び関連株式を全てを処分、翌一七年九月に神戸で死去
中内氏の遺体は戻る自宅がなく、中内家の墓がある寺に運ばれ密葬、享年八三歳
その年一二月に、イトーヨーカ堂創業者の伊藤氏がイオン創業者の岡田氏と「お別れ会」を開催
流通業界の先頭を走り続け、自社の凋落も見届け逝去した中内氏の霊に、皆が別れを告げた

>以上、再掲<

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