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馴染みの割烹料理屋で酒盃を挙げる竹輪の友、アテはオコゼの薄造り、アラは吸い物に

大学一年の時、共通友人の留守宅で二人は会った、見知らぬ同士が四畳半に黙って坐っていた
突然,、彼は持っていた紙包みから竹輪を取り出し私に云った、「これ、食うか?」
私は頷いて、二人で黙って食べ合った

広島から戻った日、一風呂浴びて糖分カットの発泡酒で渇きを癒した
次に「余市ウヰスキー」を傾けながら夕餉をとっている七時過ぎ頃、電話があった
学生時代の「竹輪の友」からで「今、大阪の上六で一杯飲んでいる、一人で寂しい」
十年ぶりである、懐かしさもあり私は「待っとけ、すぐ行く」と電話を切り、出かけた

彼は中部地方で金属加工工場を親から受け継いだ経営者であるが、学者肌の男だ
東京の大学で金属を専攻し博士課程を修了、大学で研究を続けたいと云っていた
然し、親の願いで親の経営する工場に入り、悶々としながらも何とかやって来た
よく聞かされたのは、「俺には営業センスは無い、無理や」という嘆き節
確かに、生真面目で研究熱心な学生であった彼を知る私は「然もありなん」と思った

彼の父親も学者肌で、加工技術の特化した物を扱い、息子にもその道の研究をさせた
親子とも「製品」造りの知識や技術に優れているが、商品販売は苦手なタイプといえる
恐らく、製品(プロダクト・products)と商品(グッズ・goods )の根本認識の違いだろう

上述の「嘆き節」聞かされたのは、工場経営の仕事に悩み苦しんでいた若い頃の彼だ
昨日の[マッサン」、鴨井の社長が云う「日本人の口に合う、日本で売れるウヰスキー」
マッサンが追い求める理想のスコッチウヰスキー「ハイランド・ケルト」、この違い
経営者である社長は「商品」を追求、研究技術者であるマッサンは「製品」を追求する

生産工場の海外移転や外国製品の攻勢で工場閉鎖が相次ぐ中で、彼は持ちこたえた
それは、特殊金属の加工技術に特化したこと、独自の研究開発の成果を生み出したこと
ナンバーワンの道ではなく、オンリーワンの道を選んだ彼の心根の為したものと思う

先年の高校の同窓会でのことだが、理系であったため技術屋人生を送った者が多い
殆どが定年を迎え、それなりの残り人生を送る話題になった中、一人元気な者が居た
大手機械産業を定年前に退職し、韓国に渡った人間、高校当時から目立つ男だった
日本で居れば、定年後は出向か嘱託身分になり、所得も半減し仕事も閑職となる
そんな時、韓国で取引があったところから誘いを受けたと云う、いわゆる引き抜きである

日本に居ても先の望みが薄い、つまり社長や役員になれない技術部長止まりの身である
日本に居る時の倍の給料とそれなりのポストを与えられ、彼としては嬉しい話で満足した
彼は元の同僚やまだ現役の後輩にも声を掛け人材集めの仕事を頼まれていると云う
彼が悪人でないことを知る私としては、彼のことを咎めることもせず、ただ聞き流した
その彼の近況では、韓国はお払い箱になり、支那の企業で似た仕事に就いているとか

流通業でもコンサル乞食という言葉がある、大手から中小へ、都会から田舎へ歩む
これまでに得た経験や知識を飯の種にして渡世する人たちのことを云う
前の企業で知り得たものを、より下の企業に伝えるだけで、自らの叡智ではない

古希を前に塩鮭の究極の商品開発を目指し、大学院に行くと云う水産大学出の同級生
同い年で理工学部出の今回の彼、中部経済産業局の支援を受け、産学コラボを始めた
チタン加工技術の研究開発で、地域産業発展を期するもの、その名も「チタノミックス研究会」
念のため断っておくが、「アベノミックス」より数年先立つ名称である

古希を迎えるに、若き頃からの思いの集大成を図るため、身銭を切ってまでも挑戦する
それは、その日の糊口の為のものではなく、我が人生の夢を追うものであろう
「古希からの青春」と云う言葉があるのかどうか知らないが、彼らの姿が輝かしい
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