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昨日は温暖な日中となり、近所の畑では菜の花が咲いていた

二月一六日は司馬遼太郎の命日で、「菜の花忌」と呼ばれている
司馬遼太郎の「菜の花の沖」の作品名からの命名されたもの
「菜の花の沖」の主人公は淡路の人・高田屋嘉兵衛で北海道でロシア艦に捕縛される
世に云う「ゴローニン事件」の関わりの中で起こった数奇な運命を描いた作品である

作品とは別話ながら、ロシア艦隊は高田屋嘉兵衛の故郷・淡路島沖の大阪湾にも現れた
安政元年(1854年)のこと、世に曰く「もう一つの黒船来航」事件である
時に大阪湾防備へ赴いたのは、大和は吉野の十津川郷士千余名の一隊であった
先の「梅田雲浜」の続き話ながら、十津川郷士の師であった雲浜は請われて出向く
その時のことが、十津川村ある梅田雲浜の顕彰碑に書かれてある、以下転載

「さて、同年9月、ロシア軍艦が突如大阪湾に現れるや、十津川郷士はこれを打ち払うため雲浜を首師と仰ぎ、大阪表に向かうこととなった。が、その頃、雲浜の家庭は貧苦にあえいでおり、夫人の病は重く、子どもは飢えに泣いていた。しかし、雲浜、国のためには代えられずと、非痛な胸中吐露する次の詩を賦して出立した。

『妻は病床に臥し児は飢えに叫ぶ 身を挺して直ちに戎夷(じゅうい)に当たらんと欲す 今朝死別と生別と 唯皇天后土(ただこうてんこうど)の知る有り』《原漢詩》

だが、十津川の一隊が着いた時にはすでにロシア艦は退去した後だった。
後、「安政の大獄」で処罰される。」
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