2015.02.03 結び
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梅田雲浜入門の表紙、著者は雲浜末裔の梅田昌彦氏
梅田氏は大阪芸大の元教授で教育学の教鞭を取られていた御仁
私の高校の先輩でもあり、囲碁教室の先達でもある

先日、梅田氏に著書の表紙のことで気になっていたことを訊ねてみた
気になっていたのは「袴の結び方」、武士には無かった「十文字」である
私は梅田氏に、この絵図は誰が何時何処で描いたものかと訊いた
梅田氏の話では、梅田雲浜の姪・山田登美子が明治半ばに描いたとの由
雲浜が朝廷の中川卿の謁見を得る際の姿を想い起して絵にしたものだとか

私は納得した、先月二十一日「妻の本懐」で掲げた肖像画では「一文字」
武士の袴の結び方は上士が儀礼で結ぶ時には「一文字」、下士は「結び切」
上士も戦陣にある時、もしくは武術等を行う際には皆「結び切」であった
袴の「十文字結び」とは、明治半ば頃から町衆の貸衣装屋が始めたものである
要は紐の結び目が痛み易いので、「十文字結び」が世に広まったというセコイ話

武家が「一文字結び」であることへの、町衆の憚りもあったものとも思われる
武家の袴紐が「一文字」とは、上下(かみしも)を着ける帯結びが「一文字」というもの
帯の結びと袴の紐結びを合わせた「統一感」が儀礼時の上下の着方となったのだろう
明治半ばでは武士の姿もなく、雲浜の姪の記憶が揺らぐのも、まま「ムベなるかな」
今では、結婚式場の貸衣装は「十文字」が当たり前の姿として誰も不審を抱かない
千家さんならいざ知らず、「武家茶道」と称する方々が「十文字結び」とは如何なもの
そんな他流の方にお会いして、つい私は「どこの貸衣装屋さんの?」と云いたくなる

まま、小意地の悪いのは私のたち、そろそろ茫洋と生き度候・・
「むすび」、最近ではスーパーでもコンビニでも東手、関東風の「三角むすび」
私の子供の頃は、「むすび」ではなく「おにぎり」である、それも、俵型のものであった
小意地の悪い私は、関西出の店(イオンやローソン)に行ったら、「にぎりは?」と訊く
すると、大概は「にぎり寿し」コーナーに案内される(・・)
茫洋と生きよう、坊用の茶ではなく・・

今朝の「マッサン」、北海道・余市で作る「エリー」のむすびは「俵むすび」であった
と、云いたいところだが、四角形のようでもあった、スコットランドむすびかな

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