2015.02.07 人目
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入塾半年の塾生の点前、顔がにやけている

端坐(正座)で二服の薄茶を点て、続いて安坐で二服点てた際のものである
もう稽古も終わりに近付いたと云う心根もあり、表情に余裕が出て来た頃だ
点前が形になって来たので、ふむふむと思いカメラを向けるとこっちを見た
いわゆる、カメラ目線でポーズをとろうとする、アレである
私が「格好つけんでエエ、普通にしなさい」と云うたのだが、この顔であった

成る程と、私が気付かされたことがある、「人目を意識すること」の肝要さ
「士は己を知る者のために死す」或いは「武士は食わねど高楊枝」である
人に見られているということは、自分を律することにも繋がるように私は思う
「独り稽古は要注意」という教えは、自分の思うようにやると自己流になること
せめて鏡で自分を写し、自分の目が人の目となり自分を見ることが肝要という

「人目を気にしない」とか「人が何と思おうが構わない」とかいう最近の風潮
それらの言葉は耳触りが良いので、それを然り顔で云う似非識者が結構居る
聞く人間によっては無責任の奨めになる、それらの言葉の真意は違うはず

人目を気にすることは、選良たる者の矜持の裏返しであると私は思う
フランス語のいう「ノブレス・オブリージュ」、「選良たる者の責務」と訳すのだろう
欧州文化というか、欧州人の心根にある「選良たる者」、つまり「エリート」の見方
「エリート」「選良たる者」を認め、周りも承知し期待もし、本人も自負を持つ
嘗ての日本にもそういう風潮があった、家庭・社会・学校もそのことを良しとした

日本の武士道と欧州の騎士道に心をおく者同士は平仄が合ったと歴史が伝える
エリート云々と聞くと、身分社会がどうこうと云いたがる御仁が昨今多いが、違う
私が思うのは、日本の社会が、己を含め其々が「選良たる者」と意識し合うこと
要するに、日本人が恥と矜持を持つこと、そこに日本の将来があるということ

昔聞いた、父親の世代の人の叱責の言葉、「お前、それでも日本人か!」
「人目・外聞を気にしろ」「恥を知れ」「矜持を持て」ということだろう
今では誤解される言葉かも知れないが、私は云いたい「人目を気にしろ」
とは云え、「もうエエ、ワシはワシや」という私の独り言も出る・・

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