2015.02.21 預師範のこと
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開花寸前の紅梅、快晴の空を仰ぎながら近所の神社を歩く
新春や迎春という言葉は、旧歴正月(今年は二月十九日)でこそ実感するもの

昨日のタイトルを「預師範を読む」と間違って打ち込んだ
今朝、気が付き修正を入れた、正しくは「『宗箇様御聞書』を読む」であった
写真の本の表紙を見れば分るハズ、というような屁理屈は捏ねない
ただ、本のことを宣伝風にした記事の所為か、拍手が少なかった(^^);

間違ったのは、本の説明より「茶事預師範」のことを伝えたかった故である
この「宗箇様御聞書」は三代預師範・野村円斎の書き残したものといわれる
円斎は初代野村休夢の長男、九歳で宗箇の近習に上がり禄百石を賜わる
百石とは野村家の家禄である、ということは休夢は死亡か引退していることになる
円斎が近習に上がった時とは、中村知元が二代預師範、知元は休夢の弟子であった
ということは、円斎は知元の指導を受け、それを宗箇が見守ったことになる
知元の子・中村元賀は四代預師範となるが、元賀は円斎の指導を受けたと思われる

親子の間で稽古事の師匠弟子の関係は難しいものとかよく云われる
教える親がきつくなるか、教えられる子に甘えが出るか、その両方ということだろう
卑近ながら、私も弟弟子から頼まれて、その息子さんを一年間教えたことがある
期間を集中して、細かい流れや裏の隠れた準備までみっちり教えた
父親もそれを願っていたので、本人も腹を括って打ち込んでくれ、何とか形が付いた

比べ見て、円斎が知元の教えを受けたことは偶々であったろうが、良い形であった
その後、野村、中村家交互の預師範制度は昭和の時代まで続くことになる
この両家に後継なきあと、高弟の中から宗家が選ぶ形になったのは大正十三年のこと
そして、昭和三十一年に十七代預師範・加計静堂の逝去を以って、制度は終えた
以後は、上田家十五代宗家が自らが流儀の宗匠となられ、今は十六代宗家が継がれている

上田宗箇流が流筋と家筋と血筋が連綿と一系で続いて来たのは、預師範の貢献と思える
恐らく、他に例が無いであろう

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