2015.02.23 人生の旅愁
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大犬フグリの青い小花が開いた、昨日今日と春風駘蕩の感あり

野辺の野草もそうだが、子供の頃に遊んだ風景にあった草木や昆虫・川魚
中高生の頃の友人との想い出や耳にした言葉、口ずさんだ歌や詩文
ふと何かの際に、当時の風と光の感触が今の目や肌をよぎることがある
その風景・場面に、何時か何処かで見た様な感を持つのを既視感というらしい
私は既視感には、自分の人生の旅愁というものが被っているように思っている

子供の頃は人生という言葉や意味さえ知らず、親の手の中で走り回っていた
十代後半から人生というもの向き合い始め、「何で」生まれて来たのかを悩んだ
二十代後半になり、伴侶と子供を得ると、人生は「何で」から「どう生きる」になる
三十代・四十代・五十代と人生の悲哀と喜び、そして苦しみと楽しみを知る

還暦を過ぎると、人生は「どう生きる」から、「どう生きた」に変わって来る
「何がしたい」から「何が出来たか」、「出来具合」がどうだったになる
世では、「名を上げたか」「財を築いたか」「地位を得たか」辺りを見る癖がある

「お爺さんは幸せやな、散々勝手しはったのに、歳とって子供に面倒見てもろて」
これは周囲の人が私の祖父へ云った言葉であるが、祖父が返した言葉とは
「人からどう云われようと関係ない、自分がどう思てるかや」と気色ばった
周囲や一族からは、「この人はどうにもならん」と評判の悪い祖父であった
私は最近、「爺さんは正直な感覚でエエこと云わはった」と同感すること頻り
一つ、祖父に足りなかったのは感謝の気持ち、否、感謝の表し方であった

ただ、「人からどう思われようと関係ない」というのは、まま、同感ではあるが
「自分がどう思てるかや」と云うには、照らし合わせるモノサシが要る
「人生の品質」と云えるものであり、自分勝手に判定出来ないものだろう
それは誠実・矜持・恥を知り、地位・金・名誉に惑わされぬことが判定基準
晩年、自分の人生の旅愁を悔いなく楽しめるかどうかであろう

流通産業では「品質管理・QC」なるのもが盛んに行われていたが、それはそれ
商品に関しては、価値(ヴァリュウ)=品質(クオリティ)÷価格(プライス)とした
自分の人生の価値とは、自分の人生の品質を自分の人生の価格で除したもの
人生の価格とは、自分のために費やしてくれた親や周囲の苦労と涙であると思う

私の人生の品質・価格を鑑みて計算すれば、我が人生の価値の低さに復も落ち込む
まま然しながら、自分の人生の旅愁、私はそこそこ楽しめている、と思う
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