2015.03.05 記憶の散華
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若狭の鯖、背身は食べた後である
店主曰く、殆どの人は背身から箸を付けるそうだ

先日、税理士事務所に行き、確定申告の書類作成を済ませた
その夕刻に、税理士と二人で知り合いの鮨屋に行くと「若狭の鯖」が出た
成る程に、奈良・東大寺は「修二会」の行に入っている、つまり「お水取り」

東大寺は幾たびか戦火にあったが、修二会だけは一度も絶えることなく
千三百年近く連綿と今日に至るまで引き継がれてきたという
もとは旧暦の二月一日から行われていたので、「修二会」と呼ばれるようになり
また二月堂の名もこのことに由来しているとか

その二月堂縁起にはこう書かれている(現代文訳)
「魚を採っていて二月堂への参集に遅れた若狭の国の遠敷明神が二月堂のほとりに清水を涌き出ださせ観音さまに奉ったという、「お水取り」の由来を伝えている。」

この魚が鯖であり、二月堂の閼伽井屋(若狭井)から北へ抜ける道が「鯖街道」
若狭の小浜に至る街道で、小浜と閼伽井屋の水は地下で繋がっているラシイ
よって「若狭井」と呼ばれている、因みに閼伽(あか)とは梵語で功徳水、つまり仏水

私の子供の頃、この若狭井と二月堂の間の法(のり)地に杉の大木があった
それは「良弁杉」と呼ばれて、大きな鷲が止まったと云われていた
鷲がヤヤ子を運んで来て、この大杉の枝に引っ掛けたとか、そのヤヤ子が後の良弁
良弁は東大寺の前身「金鐘寺」に住み、やがて東大寺の開山、初代東大寺別当となる
良弁は、自分を三十年もの間探し続けていてくれた両親に会えるというメデタイ話がオチ
「良弁杉」は昭和四十二年に落雷で倒れ、今はその跡に生えた「二代目」良弁杉である
私は、前記の一・三・一〇(いち・さん・じゅう)話のオチにと思うたが、また長くなった

因みに「金鐘寺」、今の「東大寺学園」は昔「青々中学」と云い、戦前は「金鐘中学」と云った
私の父親は「金鐘中学」出身だが、私は「青々中学」を落ちた(涙)
昨日の記事で、メール文の遣り取りを記した小学校の同級生、私と一緒に受験して彼は受かった
もう半世紀以上前の話、忘れられる権利を私は主張したい、一・三・一〇とは記憶の散華
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