2015040715490000.jpg
提灯百合(ちょうちんゆり)、1851年にアフリカ南部で発見された花だとか
発見者サンダーソンの名に因み、サンダーソニアと呼ばれる、花言葉「意地っ張り・望郷」

報道によると、アラビア半島南部の国イエメンで「決意の嵐」という軍事行動が始まったようだ
イスラム教シーア派系武装組織「フーシ派」の軍事基地やミサイル拠点に対しての空爆
決意の嵐とは、サウジアラビア、アラブ首長国連邦、クウェート、バーレーン、カタール、ヨルダン、モロッコ、スーダン、エジプトに加えて、サウジアラビアの十カ国、曰くスンニ派の国々

イエメンとアフリカ大陸の間にある紅海の最狭部、バル・エル・マンデブ海峡のこと
ホモ・サピエンス(現生人)の「出アフリカ」と云われている世界人類の出発の地である
海峡幅三〇キロのその海峡は「涙の門」「悲しみの門」という航海の難所とされる
海峡の幅が狭くて間に島や岩礁があり、船の難破が多いためである
氷河期には海峡の幅はもっと狭く十キロ程か、それ以下になっていたということだ
氷河期の七万年位前、百人余りの集団がその海峡をアフリカからイエメンの地に渡った
その集団こそ、ユーラシアから豪州・南北アメリカ・各島々等、世界に拡がった我々の祖先

その頃のアラビア半島、中北部は今と同じく人の住めない大砂漠地帯であった
しかし、半島南部は海岸線も広がったインド洋のモンスーン地帯で湿潤な緑地帯だった
淡水のオアシスも点々と続き、出アフリカを果たした人達は救われた思いがしたであろう
当時、東アフリカは大干ばつで、北アフリカからシナイ半島、アラビア北部は砂漠の地
二十万年位前に東アフリカに出現した現生人は、この時に西か南へ、ごく一部が海へ出た
目で見える所とは云え、女房・子供と一族を連れ海を渡るのは不安と恐れが伴ったであろう
七万年前に限らず、いつの世でもボートピープルとなるのは弱者であると歴史が示すところ

海岸沿いにインド半島西側まで来た現生人は、そこに落ち着き、そして西、東、北へと向かう
それは面白い遺伝子データによって、そのことが裏付けられると報告されている
母から娘に遺伝するものにミトコンドリア遺伝子と云うものがあり、各地で調査された
その遺伝子のハプロタイプ(半数体の遺伝子型)という区分方法があるそうだ
そのタイプ区分によると、アフリカ限定のニ種以外は全ての現生人女性に広がっている
つまり、インド西部に辿り着いた女性がアフリカ以外の母系祖先となったということ

男性には父親から息子へ遺伝するY染色体遺伝子にハプロタイプがあり、興味深い
つまり、そこから人類の移動というか、征服経路が読み取れるということである
まあ、有態に云うと、征服者は征服地の女性に自分の遺伝子を残すということ
Y染色体の型はAからRまでの各種と更にその亜種と分かれて系統付けられている
ミトコンドリア遺伝子と同じく「出アフリカ」を示し、AとBはアフリカだけにしかない

C型は全世界で見られるが東南アジアや太平洋、満蒙からアメリカ原住民に多い
N型はシベリア・フィンランド、O型は漢族、O型の亜種は朝鮮族や雲南・南支那に多い
R型は欧州に多く、欧州人には旧人・ネアンデルタール人の遺伝子を受け取った跡が残る

面白いのはDE型の分布で、アフリカのDEとは、出アフリカ後のリターン組と考えられている
E型は地中海沿岸の中近東から北アフリカ、D型は古い遺伝子型とされ、チベットと日本に分布
D1型はチベット族(ブータン含む)、D2型は日本本土・琉球・アイヌ、日本列島のみの型
D*型はインド洋のアンダマン群島、そしてDEの祖型DE*はナイジェリアに見られるという

イエメン・人類出アフリカの地に空爆という報道で、つい人類・日本人のあれこれを思った次第
アフリカ原産の「提灯百合」の花言葉が「望郷」とは、ぼちぼち帰ろかな
また長くなった・・

スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://houan7010.blog.fc2.com/tb.php/662-5d3fdc28