2015.04.18 芍薬満開
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満開の芍薬の花、牡丹科ということだが、牡丹は樹木で芍薬は草本

昨日、囲碁の師匠と学園前のイタ飯屋に入り、ランチとかいうのを食べた
千五百円程度のものであったが、大事に料理して出しているのが伝わった
店は大通りから外れた目立たない処で、私も初めて行ったのだが客は入っていた
今度は女房殿と来ても良いなと思iながら店を出ると、前に芍薬が植わっていた

この五月五日の端午の節句は十一月三日の明治節と年二回の囲碁対局日である
相手は和歌山のシステム会社の社長、同じ年で二十数年に亘り共に仕事をした朋友
私が還暦過ぎてからボケ防止に囲碁を始めたのを知り、四年目から対局を始めた
昨年の明治節で、ついに八連敗を喫し、まった負けたか八連敗との揶揄に悔し涙の私
敵は十連勝して、完膚なきまで私を叩き伸ばすと高言、私は密かに茶杓、否、竹槍を削る

ところで芍薬の花、「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」とか云われる
意味は、シャクヤクのように風情があり、牡丹のように華麗で、百合のように清楚、とか
確かに、美しさを花に例えるものとて、「何れがアヤメか、カキツバタ」というのもある
いわゆる、日本文化の美意識にある「花鳥風月」への思いの現れであろう

そこで思うことが「月」である、何故に「日」ではないのであろうか、「日の丸」が国旗なのに
成程に「朝日と夕日」は歌にも詠まれ愛されもするが、晴天白日の太陽には意外とソッポ
ヘラクレスを敬愛し、大きなもの強いものにに憧れる欧米の民俗価値観とは違うようだし
また、「大宇宙を統べている上帝」という概念を有する支那人の思考回路とも違うもの
日本人の月への美意識は、満月も新月も三日月も上弦下弦の月も、其々に愛で
いざよい(十六夜)、立待ち、居待ち、寝待ちとか、叢雲の月とか、色々に味わっている

然し、天照大神は全国各所に祀られる存在であるが、月読神を祀るのは数か所
このことは何であろうと、またまた私の気になるところである
女性の見えぬ美しさを称して「夜目、遠目、傘の内」という隠れ美の文化もある
「月」とは、自らが光を放つものではなく、「日」に照らされて映るためであろうか
「日」のような人、「月」のような人、輝く人、照らされる人、色々に思う今日この頃

「美」の対象とされる「花鳥風月」の中、目に見えない「美」が「風」、私は「風翁」だった(^^)
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