2015.05.04 手毬
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小手毬
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大手毬

小手毬(こでまり)と大手毬(おおてまり)、茶花には小手毬が使われることが多い
然し、大手毬も優雅な味が有り、私は時々使う

紀州の殿さまと手毬の話は童謡で有名である
殿さま行列は、和歌山から吉野川沿いに五条、次に越部、鷲家口と泊まる南伊勢街道を通る
天誅組の蜂起が五条、鷲家口は天誅組終焉の地という明治維新の先駆けとなる街道である
街道は高見山山麓の峠を越えて名張に向かう、名張は紀州藩の領地であった

私は小学生の頃、今の近鉄線の越部駅と六田駅の間に住んで居て、学校は六田にあった
その地に伝わる話が、後世の「殿様と手毬」の童謡となり日本全国で歌われ知られるところ
然し、その地に伝わる話は凄惨な出来事であった、以下引用して掲載する

>文久2年(1862年)、薩摩藩主の父、島津久光の行列の前をイギリス人が横切って殺傷事件が起こった。世に言う生麦事件である。ペリーが黒船に乗って鎖国に日本にやってきてから9年も経っていながら、まだまだ斬捨御免は罷(まか)り通っていた。

と、なると大名行列華やかなる時代ともなれば、「下にー、下に!」のとき
ちょっと頭を上げて行列も見ようとしただけでも、斬り捨てられることだってあった。
子供とて同様。誤って武士にちょっとぶつかったぐらいで、無惨に殺されてしまった。
子供だけではなく、親兄弟、親戚まで同罪という連座制まで敷かれていた。
だから庶民は、いつもびくびくしていた。それなのに、この歌はあまりにも、お気楽である。

 ♪てんてんてんまりは てんころり
 ♪はずんでお駕籠の 屋根のうえ・・・。

行列が見えてきた。人々はひれ伏す。そのひれ伏した目の前を異様なものがころころ転がった。それは毬だった。そう思った途端、お河童(かっぱ)頭の女の子が飛び出してきた。もちろん毬を拾いに出ていったのである。しかし次の瞬間、侍(さむらい)の大きな声が聞こえた。

「無礼者っ!」

ただひと声だった。刀がキラリと光った。"ばさっ"という音とともに女の子の体が崩れ落ちた。
即死で悲鳴すらなかった。肩先から胸に切り裂かれた傷口から赤い血がどくどくと流れていた。
そして殺された女の子はというと、丸いお気に入りの毬に変身していたのである。
魂が移ったとでも申そうか。実は当時の毬というもの、今みたいなゴム製ではない、
丸めた綿を芯にして表面を毛糸や糸で覆(おお)ったものだった。
さまよう霊というものは、こういった動く動物の毛を大変好むという考え方がなされていた。

大好きな手毬を追っていった女の子は、何の前ぶれもなく理由を聞かされることすらなく、
ただばっさりと斬り捨てられた。「一体、何が起こったのだろうか?」
即死してしまい、痛みさえ分からぬ女の子は、目の前の毬に魂をのり移らせてしまったのだ。

 ♪はずんでお駕籠の 屋根のうえ・・・。

死ぬことにより浮遊した霊が、殿さまより上にいるという状態を歌っていたのである。
でなければ、殿さまのお駕籠の上に乗るなんて、あまりにも不謹慎すぎるではないか。
死んだ女の子の心は、毬にのり移って東海道を旅するのである。
死んでしまったという意味、いなくなってしまったということを、

 ♪一年たっも もどりゃせぬ
 ♪三年たっも もどりゃせぬ・・・

と著した。戻らないとは、もう二度と帰ってこない、つまり死んでしまったという意味である。<

今は舗装道になっているが、私の居た頃の街道は木材馬車が行き、馬糞が散らかっていた
この日本で身分保持者とは天皇陛下ただ御一人、他は無い、皇太子とて陛下候補者に過ぎない
差別という概念には胸糞が悪くなる、茶家の似非身分制度も乗る方も乗せるも同じ穴の貉
貉(むじな)のヒエラルキーに擦り寄る有象無象の輩の貉糞、臭気紛々として吐き気がする
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