2015060107100000.jpg
下野草の下で咲く未央柳(ビョウヤナギ ・美容柳)、花言葉は「気高さ」

「気高さ」が似合うのは、帝国海軍・連合艦隊司令長官というのが相場
日露戦での東郷平八郎、大東亜戦での山本五十六、寡黙な海の大将であろう
その東郷、昭和九年五月三〇日に死亡、享年八十六歳、同六月五日に国葬
五月三〇日は私の父親の誕生日でもあるが、この際はさて置く

明治三十八年(1905)五月二十七日の日本海開戦のこと
時の大日本帝国海軍・連合艦隊司令長官は東郷平八郎
「皇国の興廃この一戦にあり。各員一層奮励努力せよ」とZ旗を掲げ
ロジェストヴェンスキー提督率いるロシアのバルチック艦隊を迎撃

この海戦に際し、大本営に一報を打電、起草は艦隊参謀の秋山真之
「敵艦見ゆとの警報に接し、連合艦隊はただちに出動これを撃滅せんとす。本日天気晴朗なれども波高し」
簡潔にして名文とされる

日露戦争に勝利した後、連合艦隊は解散し常備艦隊へ戻る
その連合艦隊解散に当り、東郷は解散の辞を出す、起草はやはり秋山真之と云われる

連合艦隊解散の辞
・・・(中略)
百発百中ノ一砲能ク百発一中ノ敵砲百門ニ対抗シ得ルヲ覚ラバ、我等軍人ハ主トシテ武力ヲ形而上ニ求メザルベカラズ
・・・(結語)古人曰ク勝テ兜ノ緒ヲ締メヨト。

明治三十八年十二月二十一日 
 連合艦隊司令長官 東郷平八郎

この辞、要するに「戦時に備えて常日頃の訓練を怠るなかれ」、ということであろう
時の米国大統領ルーズベルトがこの辞に感銘し、英訳文を軍の将兵に配布したという
この辞を複写した額が先輩宅の床の間に掲げられており、私は先輩の父君から教えられた
後に私達夫婦の仲人となるその御仁は、海軍兵学校・海軍大学出身という経歴であった
全文漢文調で解り辛いが、「百発百中ノ一砲能ク百発一中ノ敵砲百門ニ対抗シ得ル」は納得

そんな記憶も薄れかけた頃、最後の海軍大将であった井上成美の本で、逆納得
井上は「東郷さんは算数に弱い」と、この解散の辞を評していたのである
「百発百中の一砲と百発一中の敵砲百門を一斉に撃つと、敵砲九十九門が残る」
そして井上は云う、「かかる教えが、精神偏重・教条的な日本軍へと導いた」とか
東郷と井上、共に海軍大将ながら勝軍の将と敗軍の将の心の違いがあったようだ
どちらの云い分も分らんではないが、その時の状況・条件の違いが言葉になったのだろう
勝って兜の緒を締めた東郷、負けて兜を脱いだ井上とも云えるかもしれない

然しである、二人には共通点があった、芸妓にもてたということである、これは大事な点
私が思うに、玄人女に惚れられる男こそ真の男ということを実感している
上から下までの多くの男を見て来た玄人女、芸者或いは遊女から惚れられる男は「気高い」
アホな女はアカン、明治の歴史を築いた男の妻には才色兼備で「気高さ」のある玄人女が多い
私はモテなかった・・、「気高さ」に欠けたからか
スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://houan7010.blog.fc2.com/tb.php/705-9b6ebcd4