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アンダマン諸島の先住民(男性でも150cm足らず)とアンダマン諸島を示すの地図
海面の淡色部分は、人類「出アフリカ」期にはスンダランド大陸という陸地だった

Y染色体遺伝子DE型から分れたE型は西へ向かったが、D型は東と北に分れたようだ
東へ向かったD型一派は、インド半島沿いにスンダランド大陸の方へと進んだらしい
このルートはC型一派も進んでおり、スンダランドからサフルランドにまで到着している
サフルランドとは、今のニューギニアとオセアニアが繋がった地形であったところだとか
オーストラリアの先住民であるアボリジニーはC型で、四万年以上前に来たと云われる
他にもオセアニア各地にはC型遺伝子が残るが、O型遺伝子に侵食されつつある

スンダランドに来たD型集団は殆ど痕跡を残さず消えて行ったようである
氷河期が終わった海面上昇でスンダランド大陸の低地は海面下に沈み、居住地も消えた
そこはインドシナ半島やスマトラ・ボルネオ・セレベス・ジャワ等の島々になった
ある説では、D型の人達はインドシナ半島を抜けて、雲南・支那大陸へ入ったと云う

サフルランドとの間も海になり、ニューギニアとオーストラリアに別れてた
タスマニア島まで進み定着した人達は、近年になって英国人の狩猟的な虐殺で全滅
タスマニア人の遺伝子は分らないが、D型であった可能性もあると私は思っている
十九世紀まで火をおこす技術を知らずにいた人類は、タスマニア人とアンダマン人である

話は、D型がインド半島から東へ向かい、スンダランドに到着する途中のことになる
ビルマから延びた陸橋に入ったD型の人達は、海面上昇で島となったそこに取り残された
その人達とは、今のアンダマン諸島の原住民・アンダマン諸部族のことである
五万年位前から、そのまま石器時代の生活文化を続け、十九世紀に入り英国人と遭う
1967年・明治維新の年頃に英海軍が上陸、多くの原住民を殺戮し、島を占領した

英国はアンダマン諸島を植民地のインド人やビルマ人の流罪の地として統治した
農耕地が無く、僅かな獣や魚と草木の採取で生活をしていた原住民の多くは飢え死に
持ち込まれた疫病に免疫を持たない身の原住民は次々と倒れて行った
当初五千人程居た部族も、数百人、数十人となり、十二部族あったのが今や四部族に
然しながら、アンダマン諸島の人口は三十万人を超えているとか、この地は誰の地か・・

アンダマン諸島の原住民はアフリカ黒人の一種云われて来たが違う
アジア人であり、しかも日本人と同じ遺伝子を持つ人達である
東南アジアにはアンダマン以外にも「ネグリド」と云われる人達がいる
マレー半島やスマトラ島のセマン族、ルソン島のアエタ族、ニューギニアのタピロ族
スぺイン語で「小さな黒人」、低身長・黒肌・縮れ髪で、種族の関係が分っていない
私には、滅びの血筋・D型諸族の繋がりが知りたいところ
実は、日本列島の人間も支那・朝鮮から「倭」、つまり「小人」と呼ばれていた

さて哀れやアンダマンD型原住民、そのことを知ってかどうか、昭和十七年三月のこと
D型一族の日本軍がアンダマン諸島に上陸、英軍を駆逐し、島民の歓迎を受ける
当時のアンダマン諸島の人口は二万人程、主にインド人・ビルマ人で原住民は僅かになっていた
インド独立軍のチャンドラボーズも来島し、対英国独立戦線の一環としたという
思うに、日本軍と原住民の中に、D型五万年の血の絆を知る者は誰一人居なかったろうと・・

終戦後、日本軍は住民の訴えで戦犯となり五十二名がシンガポールで処刑された
住民も我が身を守る知恵であろう、ある時は英国を非難する物語をし、ある時は日本を非難
ビルマへの日本軍進攻では、歓喜で日本軍を迎え共に戦ったビルマ人、日本の敗色が濃くなると
英国軍と手を結び日本軍を攻撃した、スーチー女史の父・ビルマ独立軍アウンサン将軍
弱小民族の悲哀

http://cgi2.nhk.or.jp/shogenarchives/jpnews/movie.cgi?das_id=D0001300482_00000&seg_number=003

インド半島西側から北へ向かったD型集団もいた
続く
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