2015.07.22 呉訪問
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呉鎮台符・帝国海軍連合艦隊司令長官舎
東郷平八郎も山本五十六もここから出陣した

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禅道場の床、掛け軸は達磨像、蓮は姫蓮の一種とか
花入は胡銅の経筒を用意されていたが、葉花が大きく不安定になので、重厚な伊賀物に

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呉駅を降りた改札口に呉の酒「千福」が積まれていた、本日より酒断ちを決する身に・・
この「千福」が祖母の実家という東京の友人の顔が浮かんだ、やはり酒飲みである

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作務の時間に周りの草むしりをした、裏路地の奥に入って行くと
防空壕の跡地に秋海棠(しゅうかいどう)が咲いていた、何か心に迫り、そのままにした
 
秋海棠 西瓜(すいか)の色に  咲きにけり   ・・芭蕉


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戦前戦中の呉の人口は六十万人、当時の広島は四十万人、呉は中国地方一の街でだった
こんなマツダ社の三輪が往来していたのかと、少々感慨深いものがあった

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静座、参禅、作務の繰り返しの中で、最終日にに「日本の鉄文化・日本刀と武」の講演
武州の刀匠が鉄鉱石、砂鉄等や大刀、脇差、小刀を持参、日本刀の歴史と作り方を説明された
居合いをやっている講習者が、刀匠に云われて真剣の切れ味を試す

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呉に出掛ける前に、塾生からメールが入り、呉に行くなら「寶劔」をと伝えられていた
禅道場に入る身に何をオヌカシかと思いきや、最終日の打ち上げの席に「寶劔」が・・!
五日間の断酒もあり、この「寶劔」、辛口乍ら甘露、結局独り占めした
女子の参加は三名乍ら、私の前には比較的妙齢の子が鎮座、否、静座をしていた

然しである、この呉の街並、住宅街は絶壁に沿って作られているのには驚いた
平地が少ないところに人口急増があった為かも知れないが、百段二百段の石段が其処彼処に
禅道場の場所は幸い六十数段のところにあったが、保育園が更に上の八十段ぐらいにある
幼児の足は鍛えられて良いが、お母さんや婆さんには日々是れ修業そのものである
そう云えは海上保安学校があり、「海猿訓練」は二百段を走って上り下りだとか・・頑張って呉

私の父親は学徒出陣で海軍に入り、人間魚雷「回天」に乗る前に呉へ着任していた
呉湾一帯を見下ろせる禅道場、作務の合間に呉鎮守府辺りを眺め、ふと父親の青春を偲んでみた
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