Ki-45 tei
陸軍二式複座戦闘機(にしきふくざせんとうき)キ45改、愛称は屠龍(とりゅう)
31115.jpg
B29へ肉迫攻撃をする二式複戦「屠龍」、米軍撮影

今日の八時一五分は米軍B29機による広島原爆投下の日である
B29は日本の高射砲が届かない一万メートルを超える高々度を高速度で飛行
その為、B29への攻撃は日本軍戦闘機の瞬時の交差攻撃が唯一の方法であった
マリアナ諸島を進発したB29は富士山をめがけて飛来、大井川上空で東西に分れる
昭和二十年五月二十九日、原爆投下日の一週間前の日のことである
B29の大編隊が大井川中流域の上空を通過している時、事件は起こった。

午前九時頃空襲警報が発令され、「巨大な」B29が幾編隊も幾編隊も通り過ぎていた
午前十時頃、一機の日本軍機「屠龍」が現われB29の編隊に向け攻撃を行うのが見えた
そして、その「屠龍」は全速力で体当たり攻撃を敢行した。B29は空中分解しながら落下
「屠龍」も墜落していった、その後に落下傘が三個空中に舞ったが、一個は開かなかった
その様子を見上げていた人々は感激し、ある者は思わず「万歳!」と叫んだとか
その「屠龍」の体当たり攻撃とは、乗員の瞬時に下された判断であったろう

体当たり攻撃を行った日本機は、清洲飛行場(愛知県)を基地とする飛行第五戦隊の「屠龍」
午前八時頃基地を発進、哨戒中に大井川中流域上空B29の大編隊を発見して攻撃を行った
その「屠龍」の搭乗者は操縦士河田清治少尉(二十二歳)と後座・土山茂夫兵長(二十歳)
河田清治少尉は朝鮮人名を「慮龍患・ノ・ヨンウ 」という朝鮮半島出身の学徒出陣者である
京畿道で産まれ、仁川北商業学校から京城法学専門学校(現ソウル大学校法科大学)に入学
落下傘三個の中、開かなかった落下傘は河田少尉のものであった、開いた二つは米兵のもの

河田少尉(慮龍患・ノ・ヨンウ )の遺体は発見され荼毘に付され、遺骨は靖国神社に安置された
その遺骨は朝鮮の故郷・遺族の元には帰っていない、否、帰られないままなのである
朝鮮の「反日感情」の為せるもので、日本軍の協力者は「親日の売国者」とされるためである
私には「反日」「嫌韓」はどうあれ、河田少尉の義務感と自己犠牲の精神には尊崇の念を持つ
半島で愛する我が子「慮龍患」の帰りを待ったご両親の思いは幾何であったろうか
ご両親にとっては優秀な期待のご子息であったろうに、反日も親日も関係なく・・
スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://houan7010.blog.fc2.com/tb.php/752-75ab0778