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今朝の散歩道、シダ(羊歯)の葉の中に「お化粧花」が顔を出していた

ブログ記事に、ある御仁からメールでコメントを頂いた
私の返信と併せて掲載する

>元々日本人には、おそらく自己犠牲、義務感と言った概念は、稀薄なのではないでしょうか。
本来、自己犠牲というのは、西洋のキリスト教に於ける『神に選ばれし神の下僕』と云った、エリート意識や騎士道などの義務感の事だと思いますが、如何でしようか?<

下部分はその通りだと思います
ノブレス・オブリージュ、つまり「高貴さは(義務を)強制する」
それは欧州貴族社会の選民意識の為せるものでしょうし
背景はキリスト教の源流・ユダヤ人の選民意識に由来するのでしょう

上部分の話は違うでしょう、と云うより封建社会・身分制度に基なす思想と思います
どうも、世界史上に出現した封建社会とは日本と欧州だけのようです
やがてそれは、勤労や奉仕を美徳とする思想を生み、資本主義の土壌となったようです
欧州の騎士道と「ノブレス・オブリージュ」、日本の武士道と「卑怯を恥じる文化」
この二つは世界地図の端と端で生まれた世界史の生物学でいう収斂進化だと私は思っています
欧州のカソリックに対するプロテスタント、日本の公家社会に対する武家社会の対比が底流で似る
士農工商とは武家・封建社会の身分制度で、士が士の誇りを持つように商は商の誇りを持つ
江戸期の石田梅岩の心学思想は、欧州プロテスタントの労働・勤労を尊ぶ思想と重なろ
欧州のノブレス・オブリージュに似た「卑怯を恥じる文化」は武士の誇りという思想になります
その思想は階級其々に分相応の誇りを持って、その職に励めとなって行った様に思います
故に、元々日本人には義務感と自己犠牲という概念は大いにあったと思っています

> 従って、その一瞬の勝負の瞬間には、その闘いの事以外何も無いんです。決して何かの為などの意識など、入る筈が無いのです。
例え『相打ち』であろうと、敵を倒すことができれば、勝負としては、負けでは無く、むしろ勝ちなのですから。<
> つまり、その時、一人の武人として『一瞬の三昧境にあって、永遠の命を生きている』と云う事なのだと思います。したがって、其処には何の生死(仏教で云うところの迷い)は無いのです。<

戦う動機云々はともかく、戦いになった瞬間からは云われる通りだと私も思います

> しかし、問題なのは、その後の『特攻』です。
『これまで散っていった、多くの命を無駄にする気か。』などと如何にも官僚的な問題提起をして、多くの殆ど素人同然の若者達を、強制的な下知命令で持って、死に追いやったことです。<

特攻隊の多くは学徒出陣者でした、優秀な頭と分別能力を持っていました
そして世界の事情や歴史にも自分の考えを以って判断していたと思います
出撃した人々の遺書や手記を見ましたが、殆どは真っ当な考えの若者たちです
こんな若者を死なすのは惜しい、と思わずには居られないほどのものです
出撃者の殆どは日本の負けを意識していましたが、無駄死とは思っていなかったようです
分った風に云うと、「負けの勝ち」を取りに行ったように私には思えます(父の話の影響あり)

特攻を「強制的な下知命令で持って、死に追いやったことです」とは少々云い過ぎと思います
私の父親も学徒出陣組の回天特攻隊で、後の歴史哲学者・故上山春平氏と同隊でした
父から聞いた話は、特攻に志願してからでも申し出をすれば除隊が出来たということです
そして、除隊して他の部署に回った人は何人も居たということでした
ただ、後世の曲学阿世・阿諛追従の輩が好き勝手なことを最もげに云ったことの言害です
強制的に無駄死にをさせられたとは、特攻で死んで逝った人間への冒涜だと私は思います


以上、私の思いです



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