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番茶の煮汁に浸した灰、竹でよく混ぜて全体に色付けする

昨年末に、陶工の塾生が窯の焼き入れに使った樟の灰を持って来てくれた
三日前に番茶の煮汁に浸して、一晩置いてから天日干しをするつもりであった
そころが、昨日今日と連続の雨降りで少々滅入っている、灰の水気が取れない
次の月曜稽古では、塾生に炉灰の作り方を学んでもらう予定が、乾くかどうか・・

ところで番茶、奈良・京都では焙(ほう)じ番茶で江戸では青柳番茶が一般的のようだ
焙じるかどうかの違いのようだが、実は「番茶」の定義はなく、まま、日常茶飯事の茶
つまり、日本人なら何処でもタダで出される感覚の緑茶が番茶であろう
この日本人の感覚には外国人が驚くらしい・・「所さんのニッポンの出番」より

http://officiallist.videotopics.yahoo.co.jp/video/tbs/25785/

日本人の「水と平和はタダ」という思い込みを皮肉る話をよく耳にした
中学・高校ぐらいまでの汽車の旅は駅弁と四角い陶器に入った「茶」が付き物
茶の代金として幾らかを払ったが、ほとんど陶器代のつもりでいたものだ
流通産業に身を置いていた私は、どうにも解せなかったのが茶の缶飲料商品
昭和の六十年頃の話である、誰が茶の一杯に金を払うものかと思っていた
更に「水の商品化」に至っては「眉唾話」として聞き、貴族趣味と私は断じた
それが、今や茶と水は食品売り場でのメインコーナーとなり、ジュース類を圧倒する
中学校時代に牛乳配達をしていた私には、水が牛乳と似た価格とは未だ信じ難い

少々逸れた、閑話休題、茶の木の話である
焼畑農法では森の樹木を伐採して枯らし、火を付けて一帯を燃やし土地を肥やす
耕耘・施肥を行わず、作物の栽培後に農地を一定期間放置して地力を回復させる
古代より東亜半月弧で行われている粗放的な農業形態で、縄文前期に列島に伝わる

焼畑で最初に芽を出すのが「茶の木」であり、それからソバ・ヒエ・アワや豆・芋を植える
茶の木は森林で根を深く下して環境に耐えており、森林が焼かれると直ぐ芽を出すとか
このことから結婚の結納に茶を用いて、嫁が家に根を下ろすことを願う形だと聞く
結婚式の酒宴が終わると嫁は普段着になり皆に茶を出し、家の者になった区切りを示す
墓地に茶の木を植えて現世とあの世の区切りとし、家と家の境界にも茶の木を植える

焼畑の自生の茶の木を山茶とかヤブ茶とか呼ぶが、「ヤブ」とは焼畑を意味するという
民俗学者の柳田國男は山茶を日本在来種としたが、近年の研究では渡来種と判明した
縄文早期に大陸から渡来といういうことなので、私はY-O2b集団が持ち込んだと踏んでいる
柳田を始め民俗学者や農学者は、平安・室町期に僧侶が茶を日本に持ち込んだ話は否定
日本の人々・村々では山茶を摘み、番茶として「日常茶飯事」の中に取り込んでいるのだ
僧侶や貴人の「茶の湯」の歴史とは違って、番茶は茶の木のような深い根を持つようだ

外の気配では今日も雨が降っている、炉灰は何としょう
続く・・
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