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鷺(さぎ)草、我が家の鉢植えで二株咲いた、まさに白鷺である
蕾より開花した今が見頃と、昨日の日曜稽古組の床の花にした

産経新聞朝刊で記紀の神武東征を解説する「海道東征をゆく」が連載されている
昨日で連載第八部がおわり、十一月に大阪フィルハーモニーの演奏会があるとか
「海道東征」とは北原白秋作詞・信時潔作曲の交響曲名で、戦前に公演されたもの
私は入場券を確保済みだが、略満席ということである

連載では、熊野から吉野・宇陀に至り、国中(くんなか・大和盆地)ヘ入り、大和を制す
カミヤマトイワレヒコ(神武天皇)が大和の豪族ナガスネヒコトミヒコ(登美彦)を打ち取る
これで神武東征が成就、第八部おわりとなったが、私には二つのことが気になっている

一つは、神武軍によって討たれた和歌山・熊野・奈良の女酋長三人のことである
紀ノ川河口のナグサトベ(名草戸畔)、熊野地方のニシキトベ(丹敷戸畔)、
および大和国層富県(そほのあがた) のニキトベ(新城戸畔)という女性首長達
それも八つ裂きにされて殺されている、「そほのあがた」とは大和六郡の添郡のこと
つまり、私の生まれ育った奈良界隈である、ナガスネヒコ亡き後の掃討戦で殺された

「戸畔」は戸女(戸の辺りにいる女)であり、女性首長を指すものと云われている
他にも、日本各地にトベ(戸畔)という名の女酋長が居たことが書き残されている
記紀に残る景行天皇の九州討伐では九州のトベ・女酋長のことが記されている
このことは日本の古代社会とは女酋長の存在が居たことを示している
母系社会なのか、シャーマニズムの巫女的存在なのか興味深いところである
考えてみれば、天孫皇室の祖先とされる天照大神の存在とも関係するであろう

この話と日本各地の振り茶がシッカリと繋がっていることは、私の確信的類察である
振り茶の考察をする民俗学者の話では、振り茶の場を囲む各自の居場所の名称
その家の主婦、つまり振り茶の主宰する女性の座をチャニザ(茶煮座)、カカザ
そして、カシキザ(炊き座)と呼んだと報告されている、この「炊き・かしき」を思う

神武天皇の大和平定には、同じ天孫族の二ギハヤヒノミコト(饒速日尊)の存在がある
二ギハヤヒは土着豪族ナガスネヒコ(長髄彦)の妹の(三炊屋媛)を娶る
二人の間の子がウマシマテノミコト(可美真手命・ウマシマテ)、後の物部氏の祖である
神武天皇がナガスネヒコと戦ったとき、ニギハヤヒはナガスネヒコを斬って神武に帰順

ミカシキヤヒメの兄はナガスネヒコ、ニギハヤヒは婿、卑弥呼にも兄弟が居て取次役をした
その取次役の兄弟を殺して、神武に恭順したのが天孫を名乗る「婿殿」、義より実である
私が思うに「ミカシキヤヒメ・御炊屋媛」こそ、母系社会の一族を率いる女酋長そのもの
ミカシキヤヒメの了解無くして、ニギハヤヒがナガスネヒコを討つことは無理だったろう

登美(とみ)の里の隣村、今の郡山市新木(にき)のニキトベ(新城戸畔)という女性首長
ナガスネヒコ暗殺後も道義を守り、外敵に抵抗して殺されたのであろう、さすがは奈良女
振り茶の風習にある「座」のこと、茶煮座(ちゃにざ)とカカ座、そして炊(かしき)座のこと
そこに、振り茶の風習と古事記・日本書紀の叙事に縄文時代からの繋がりが見える

二つ目の気になることとは、神武東征そのもの
日向から紀伊までは縄文船で一昼夜、瀬戸内海を何年も掛けて往かずとも良いはず
それに、九州南部から来たのが神武族なら、後の大和政権の南九州征伐とは如何が
江戸幕府を倒した薩摩が、西南戦争では薩摩が官軍に打たれる話と同じいうことか
私には、神武東征そのもが作り話に思えてしまう、然し焼畑と振り茶、主婦の座のこと
炊(かしき)とは、茶が喫と食に別れて辺りの話、東亜半月弧の民俗にまで繋がる話
それこそ、母系社会であった縄文人文化まで堀り起される茶の話であり、そこそこ深い

下の写真は、昨日の稽古に御亭主と同伴されて来た奥方衆の「番茶振り茶」の準備様子
右は番茶薬缶と湯こぼし(建水)、盆に茶碗・茶筅・茶巾・サジ・茶漉し・塩皿・布巾とキリコ
奥方衆は御亭主衆の茶点前より、闊達に振り茶を楽しまれた様子、振り茶のトベ姿である
考えてみれば、茶の稽古場で振り茶稽古なんぞをするところは皆無であろう
続く・・
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