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布袋(ほてい)草の花、去年に背丈十㎝位の布袋草五株をメダカ鉢に入れたもの
それがこの夏にグングンと成長、メダカ鉢から溢れて葉茎を広げ、昨日は花を咲かせた

テレビの話で、三代目何某かの歌舞伎役者が派手な動きの新作歌舞伎を公演とか
何年か前に、猿の助がパリかどっかで宙吊り歌舞伎を披露したことがあった
派手な衣装や常軌を逸脱した行動に走ることを指した語を「かぶき者」と云うたとある
「かぶき者」の斬新な動きや派手な装いの「かぶき踊り」が慶長年間に京で一世を風靡
これが出雲の「お国」から今日に連なる伝統芸能「かぶき」の語源となっていると聞く
成る程に、芸を見せて銭を貰う大道芸「河原乞食」の伝統芸能という側面が見てとれた

この話で私には気付かされたところがある、外向きの文化と内向きの文化ということ
スポーツ芸能というのが文化であるなら、それを職にして、それで飯を食う者とは
それは外向きの文化の担い手と云える、人に見せてナンボ、うけてナンボの世界である
本来は「糊口を凌ぐ」ための芸であって、世の日陰者の世界であるというのが真っ当
「芸人はエエ家に住んだらアカン、長屋住いが芸を生む」とか云うた大阪の芸人がいた
米国ではベイブ・ルースの給料が大統領を上回ったことが話題になったぐらいである

内向きの文化とは、己の心と向い合う世界で、一つの芸を極めることで行う世界であろう
大道芸人も、懸命の稽古で芸を極める努力はするが、それは「銭稼ぎ」の糧である
とは云え、大道芸人も芸を極めるまでに来ると、そこに「銭稼ぎ」を離れた心境を得るようだ
人に見せて銭稼ぎを意図するのが外向き、己に問い自身の納得を意図するのが内向き
工芸家や絵師は外向きの文化になりがちで、書道や武道は内向きの文化になりがちだ
「道」を付けるということは、そういう一面を表しているように思える、諸芸道然り

「茶道」だが、私はこの言葉が好きでない、世間で云う「茶道」は外向きの茶に思えるのだ
茶で飯を食う者を昔は「茶の湯者」と呼び茶人とは云わなかった、茶技の芸人ということ
茶で飯を食うことを生業とすれば、必ずや集金マシンの考察が入り込み「邪道」と化す
同じことが宗教にも云える、宗教で飯を食うことを意図すれば、臭気紛々とした「邪宗」になる
宗教は内向き文化の最たるものであるハズが、「銭稼ぎ」になると破戒僧や身分が生まれる
対価を求める形は外向きになるのは致し方ないが、本分を失念しては「外道」に堕ちる

「茶」は禅でいう見性(けんしょう)、自分という人間本性を徹見することに玄旨があろう
命の遣り取りを稼業とした戦国武将が、茶の湯にはまり込んだ訳はその辺りにあると思える
茶技を教えることを稼業とした茶家の流れを汲む町衆の茶とは、似て異なるものであった
明治維新で碌を失った武家の茶方が、食うために町衆の茶を模倣してまったのは残念な話
だが、芸の三昧にまで進んだ方は、外向きから内向きへ、内向きから外向きへと自在に変化
そこに文化の文化たる所以があると思われるが、私には及ばない遠い話というか無縁の話
私は外向きの茶は出来ず、かと云って内向きの茶にも成れずにいる
未達の人生を、それなりに納得するしかないようだ・・
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