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雑木林の散歩道に落ちていた栗、日本栗は縄文時代の栽培植物だとか
朝夕がめっきり涼しくなった、なるほど涼風は「すずかぜ」と読むのが相応しい

縄文時代の農耕とは焼畑であり、焼畑農法は最近まで続いていたとは既述
日本各地に焼畑の痕跡が残り、奈良・若草山の山焼きもその一つと云われる
焼畑で最初に芽が出るのが「茶の木」で、それが各地で「山茶」として採取された
焼畑文化のルーツである東亜半月弧、アッサムから雲南・ビルマ・タイ・ベトナム
この辺りでは「茶」を飲み物というより、食べ物とする見方の方が古い食文化であった

成熟した茶葉を茹でてから、発酵させて漬け込み保存食とする方法である
発酵を済ませた茶葉に白カビが付く頃、天日干しすると固まり黒茶になる
四国の碁石茶・阿波番茶や北陸の黒茶、大陸で今も流通する団茶である
この黒茶の類が振り茶に使われて来た「番茶」であるが、今では少なくなった

古い時代は茶葉に限らず、色んな草木が代用茶とされた、弘法茶もその一つ
茶が食べ物であった名残りが「茶粥」であり、西日本各地に茶粥文化があった
私の子供の頃の宇陀・吉野地方では、大きな鍋に芋や豆が入った茶粥が炊かれた
家族は其々に箱膳の中から茶碗を出して差し出すと、母親が粥をよそったもの
食事が済むと番茶で椀の中を漱いでから飲み干して、そのまま箱膳の中に収めた

茶汁を上げたもの、つまり掬い上げた飯を「上げ茶」、茶汁が多いものを「ごぼ」という
奈良地方は米を晩に炊くので、朝は晩の残り飯でサラサラの茶粥をつくって食べる
サラサラして熱い茶粥・「おかいさん」を常食にするから、奈良県は胃癌が多いとかで
昭和二十九年に「茶粥の廃止」が呼びかけられ茶粥の常食が減った、この説は怪しい
食事と喫茶の同根を示すものが茶粥文化なら、この呼び掛けは文化破戒に等しい
西大寺の大茶盛りも元は茶粥、「おかいさん」を救民に振る舞ったものと私は思う

吉野の各家ではオクド(かまど)のある土間から板の間に上がると茶粥鍋が炉にあった
其々の席があって、土間を右か左側にした場所が主婦、その横の土間の対面が亭主
この席順は、振り茶の風習があったところでは似たような仕来りがあったようである
沖縄の古い民屋は棟が母屋と釜屋に別れ、母屋の主座は亭主で釜屋の主座は主婦
戦災後はひと棟形式が多くなって、これまでの伝統的席順が混乱しているということ

振り茶の際の主婦の座を「茶煮座・チャニザ」、或いは「カカザ」「カミザ」と云うのは前述
座を仕切る人の席は「カシキザ・炊き座」とも云われ、カシキと仕切るは繋がる気がする
採取した茶葉や草木を煮出し米や芋・豆を土器で似ていた縄文時代の主婦像にも繋がる
縄文一族の母である主婦は一族の仕切り役をしており、入り婿の亭主は主婦を支える役
母系家族制の縄文社会では、一族の長とは巫女的立場にあった主婦だと思われる
その巫女的立場にある主婦は「戸畔・トベ」と呼ばれる一族の女酋長であった

主婦・女将を表す古い言葉の「刀自・トジ」も、この「戸畔・トベ」に通じる気がする
振り茶を主宰する主婦、それは古代の母系一族の女酋長・トベに他ならない
続く・・

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