2015082806230000.jpg
玉簾 (たますだれ)、「珠簾」とも書く彼岸花の仲間、秋を知らせてくれる

:廃医師はんから私の質問に回答があった、こちらに転載する
いつも通り「真っ向兜割り」の論調、中身が重くて濃い

回答・廃医師
********************
 日本列島に渡来した「日琉祖語話者」=倭人は、Y-O2b系統の集団だったと考えられます。野生種から栽培稲を作った珠江中流域の人々、おそらくは、南アジア語族モン・クメール語派に属するY-O2a系の人々と姉妹群(Y染色体は男性のみの保有なので、兄妹群の方がよさそうですが)のY-O2b系統に属しており、古本的には、y-O2a系の人々と同調して行動していたと考えられます。その証拠に南アジア語族モン・クメール語派の代表的言語であるヴェトナム語とカンボジア語の話者が建国した両国には、最多頻度のY-O2a系の他に、少数ながらY-O2b系も見出されます。Y-O2a系が単独で見られるのは、他に南アジア語族ムンダ語派の人々(インド9であり、同様に殆どY-O2aを伴わずにY-O2b系が存在するのは、日本列島と朝鮮半島が中心であり、満州にも少数認められています。
 移住者が少数集団だった場合、偶然の作用により、母体となった集団の遺伝子組成を反映しない事は集団遺伝学などで認められており、一般に「創始者効果(始祖効果)」と「遺伝的浮動」で説明されます。気候温暖期に灌漑水田農耕の適地が長江流域から黄河方面へと北上し、殆ど黄河南縁に達します。これに伴って北上し、山東方面から更には満州にまで進出した水稲農耕集団が,Y-O2b系を主とした南アジア語族モン・クメール語派の一派だったと思われます。彼らは黄河流域の雑穀農耕や小麦主体の農耕民と競合しつつ、黄河河口域や山東方面に進出したと思われます。環境に適合した栽培穀物を優位として、先住のアルタイ系と混淆しつつ、Y-O2B系の氏族、部族は山東方面から更に一部は稲作が困難な遼東半島にも進出しますが、その集団の生業は既に雑穀農耕と河川漁労などに変化していたでしょう。
 さて、アルタイ化したのは、少数のY-O2b集団が、父系制氏族集団を形成し、同じく父系制氏族集団を形成していたアルタイ系のY-C2b(旧Y-C3)系集団と、父系制氏族社会での氏族間の競合緩和策でもある「氏族外婚制」により、先住のアルタイ系の女性から配偶者を得た事により、原倭人集団のミトコンドリアDNA(mtDNA)は、急速に北方系の者に置換します。又音韻なども母系のアルタイ系の特徴がこの伝えられます。又原倭人の男性も、地元で多数派の北方系の人々との交流上、文法等は、南方系から北方系のアルタイ系に変化しますが、基礎語彙や主たる生業の稲作関連の語彙など、殆どの語彙は、南アジア語族のそれを維持します。その結果南アジア語族モン・クメール語派に近い言語の話者だった原倭人(Y-O2b系)は、日琉祖語という混成言語を完成し、「倭人」に変容します。
 温暖な山東竜山文化期が終わり、寒冷化に向かうとともに、東夷諸民族の動揺と移動の時代が到来します。これはユーラシア大陸の東西で同時的に進行した現象のいわば東アジア版ですが、東夷系の雄であった商(殷)民族の建国と安陽遷都、殷周革命と言った500年程のめまぐるしい変化も、この環境の変化による民族移動期のものでしょう。当然倭人集団も移動を余儀なくされます。特に漢民族などの母体であるY-O3系統の膨張が大きな要因となって、倭人主力は、山東半島から黄海を渡って、対岸の朝鮮半島へ、更に間をおかずに日本列島に移住します。山東省南部の稲作地域(北部は雑穀栽培農耕が優越した)からの朝鮮と日本への移住は、或いは同時だった可能性もありますが、それは今後の考古学界の成果にゆだねられます。
 これで、風翁道人のご質問の?アルタイ化の祭祀、何故アルタイ系のY-DNAであるY-C2bやあるいはウラル系?のY-Nが入っていないのか?と言う疑問に対する答えになると思います。要するに、三島地域に少数進出したY-O2B集団は、アルタイ系の父系制氏族外婚制社会に適応して、多数派のアルタイ系から嫁を迎え、結果,Y-DNA以外の殆どの形質は、北方系モンゴロイドの者になっていきます。勿論環境に適応した一部の遺伝子は、長江流域以来の南方系の遺伝子が残ります。おそらくアメーバ赤痢への抵抗性と関連すると思われるいわゆる「下戸遺伝子」などは、温暖期のアメーバ赤痢の北上と言う条件下に、倭人集団内に維持されたと考えられます。しかし、南方系の男が、北方系の妻を迎え、その男子がまた北方系の妻を迎える、と言う繰り返しが続けば、その集団御形質が、急速に北方系モンゴロイドの者になる事は、直ぐ分るでしょう。
 次の?については、始祖効果なり、遺伝的浮動と言った「偶然」によるY-O2b1-47zNOY-O2B系集団内の下で説明可能でしょう。
後一つ、原始古代は母系制社会だった、と言うのは「青踏派」の宣伝、標語であり、おそらくは原始社会は、圧倒的に父系制氏族社会だったと考えられる事です。ヒトに最も近いアフリカの大型類人猿のチンプ(ナミチンパンジー)、ボノボ(ピグミー・チンパンジー)のいずれも父系制の社会を作っており、メスが群れを移動します。又ゴリラも、「単雄複雌群」という父系聖家族を作ります。ヒトも基本的には、同じ様に父系制(男系)家族や氏族だったと考えるべきでしょう。
********************
スポンサーサイト
Secret

TrackBackURL
→http://houan7010.blog.fc2.com/tb.php/772-caa99064