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個々の三年ほど鉢植え草が花をつける、楚々として好きな花だ
名前を失念した、アメリカ云々とか、或いは丘虎の尾の変形だとか・・
教えを乞いたし

廃医師のコメントが来た、まま、難解乍らも力説故に読み応えがありまする
掲載させてもらう

 誤字や誤変換が多く、文意が判りづらくなり、申し訳ありません。視力低下と老化によるキーボードの打ち間違い(隣や前後のキーを打ち間違う)と,PCの欠陥による少し早く打鍵した際の文字の拾い落としなどが、渾然一体となって、怪しい文章を形成しています。視力低下と疲労などにより、チェック漏れで、書いた本人にも、何を書いたのかが後で判らなくなる始末です。

 さて山東竜山文化期に、山東一帯がアルタイ化していたと言うのは不信との事ですが、尤もなご意見です。基本的に中国の華北はY-O3系の分布域と考えられるからですが、20世紀初めにロシアの言語学者が、ツングース語派は、華北河北方面から満州に移動した、と言う説を唱えていました。アルタイ語族の三語派の打ち、モンゴルとツングースは、間違いなくY-C2b(旧C3)系統ですが、満州の古い人骨から、ウラル語族と関係の深いY-N1が認められ、興隆窪文化期前後には,Y-C2b即ちアルタイ系はまだ満州方面では主流ではなかったと考えられます。では彼らは満州方面に入る前にはどこにいたのか?と言う話になります。蒙古高原がすぐ思い浮かびますが、仮にウラル語族が、満州から現在の北欧まで移住したのであれば、蒙古高原を通過したか、その北のシベリアを通過した事になります。シベリアには、ウラル語族サモイェード語派が広く分布し、また今は分布域を縮小しましたが、かつてはその東に、古アジア語族のユカギール語話者が分布していました。このユカギール語についてはムラル語族の第3の語派だとする人もいます。
 従って、Y-C2b集団が蒙古高原夷古く存在したと考えて問題はなさそうですが、実は中国の春秋時代の古文献『竹書紀年』の晋記に、山西省方面に「九貉」成井民族集団が存在したことが記載されています。「貉」は「狛」「貊」更には「伯」「百」などとも音通であり、高句麗や百済など、扶余系諸族の別名である「貊」に通じます。扶余系をツングース系ではなく、朝鮮族と近いと考える半島系のウリジナル説はともかくとして、扶余系こそは実は満州・ツングース語派だったと考えられますから、山西から河北一体にアルタイ系のY-C2b集団、特に後のツングース系に近い集団が居たと考えて問題はないと思われます。私は蒙古高原にも、華北東部からY-C2b系が北上した可能性を考えていますが。いずれにしろ「九貉」は山西省方面尉取り残されたアルタイ系の一派であり、既に中原竜山文化は,Y-O3系が主だったらしいのは、華北の古人骨からY-O3系が検出されている事から明らかです。しかし同時に、華北東部にはY-C2B系統、つまりアルタイ系もかつて存在していた事も間違いないでしょう。このあたりの詳細は、古人骨からのDNA解析に待たなければなりませんが、アルタイ系でなくとも、ホ峰系モンゴロイドが山東省まで広く分布していた事は確かでしょう。実はY-O3系統についても、古アジア語族と一部は関係があるのではないか?と私は考えていますが、これも将来の分子人類学の成果待ちです。
 父系制氏族外婚制社会は、アルタイ系のみならず、漢民族も同様であり、華北一帯が基本的に父系制氏族外婚制が一般的だったと思われます。長江以南の稲作農耕民世界でも、父系制が一般的だったでしょうが、華北ほど厳密ではなく、族内婚屋母系制氏族に移行しつつある集団もあったと思われます。特に,Y-O1系の南島語族などは、その傾向が少し強かったのかもしれません。ポリネシア語派やインドネシア語派などに母系制血縁集団がみられますから。

 次に、「母権」と言うよりも、むしろ男女同権であり、或る氏族の成員は、基本的に同等である、と言う風習が長く続いたのではないか?と思われます。その場合、同等者ksんお序列は、年齢階梯に従うことになります。氏族や部族の祭祀を司る祭祀者は。漢語では「祝」であり、漢字の中に「兄」と言う文字が入っています。祭祀王たる長兄が「祝」であり、群弟が各地域の「領主」であり、世俗的支配を行うような原始的な支配関係が、あったと思われます。その支族の男女が同県であれば、支配的氏族の年老いた女性が権力者足り得るのは、当然でしょう。日本御古代の天皇家=大王家は、実はそのような氏族であり、だからこそ、上代日本語の「おほきみ」(大君)は、大王=天皇の称号でもあり、同時に男女の諸王族(王、女王)も大王同様に「おほきみ」戸呼ばれていました。耳で聞く限り、「おほきみ」だけでは、天王の事なのか、それとも他の王族なのかは、判別できません。即ち、本来判別されていなかった、と考えるべきでしょう。
 血気盛んな若い軍事的行動を行う男子王族よりも、世代の古い母親や叔母の世代の年長王族が、権威を持つ姿が、母権とも公正に解釈されたのではないか?と言うのが私の解釈です。

 最後の文章は、倭人集団Y-OO2b系統の中で、日本列島に入った集団は、その中のY-O2b1-47aの頻度が偶然高く(始祖効果)、また単なる偶然(遺伝的浮動)も加わって、Y-O2b集団内で頻度を更に増加させた、と言う事で説明可能だろう、と言う意味です。勿論支配階級に加わった事により、増加した可能性も十分あるでしょう。<

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