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御向いの庭先から枝垂れる「萩」、朝は涼しいと云うより肌寒い、昨夜は掛布団を出した
さを鹿の 朝立つ野辺の 秋萩に 玉と見るまで 置ける白露(万葉集・巻八、大伴家持)
万葉集で「萩」が詠まれる歌が一四二首、草木では一番多いという

産経新聞一面のシリーズ「海道東征をゆく」、奇しくも十六日は初代皇后の話であった
媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)、即ちイスケヨリヒメのこと
蹈鞴は鍛冶、「イスケ」とは「振る」という意味であると紙面では解説している
「振る」ことで霊や命をよみがえらせ、招き寄せる呪能の意味がある、と云う
私が「番茶の振り茶」で云いたかった本旨を解説してくれたようである

少し話が飛んでいたので、粗々の話をくり返す
二万年位前にO3系漢族に圧迫され、陸地であった東支那海へ移動したY染色体O2b集団
同系のO2a集団は揚子江から南、更には東南アジアまで移動してモン・クメール族等になる
海岸近くまで追い詰められたO2b集団の一部は朝鮮半島へ、一部は日本列島へ逃れた
朝鮮半島へ渡ったO2b集団は、その後もO3系の漢族やC3系の女真族・蒙古族の侵略を受ける
日本列島に渡ったO2b集団は、先住者であるD2集団と融合し共に縄文文化の担い手となる

O2b集団が大陸から持ち込んだ「焼畑農法」が山茶を生み、山茶の霊威を畏敬する
山茶は茶葉を蒸して発酵させ、他の山菜穀物と似て食する土器の文化をつくることになる
その茶を泡立てることで、山茶の霊威、即ち「神」の顕出を願う習俗が生まれる
この茶を振るという仕儀は一族の女将の霊力と結びつくことになっていく
一族の女将とは、巫女でもあり女酋長でもあった存在で母系社会の一面を持つ存在

宋の時代に抹茶を茶筅で泡立て食す、喫する形式がが日本に伝わり「茶の湯文化」が生まれた
やがて「茶の湯文化」は日本全土に普及し、宋で抹茶が消えた後も日本文化として今に残る
私は、そのことを日本には「番茶の振り茶」という土着文化があったなればこそと思える
茶葉を食すること、振り茶で泡立てる仕儀を神妙なものとすること、支那にない文化である
つまり、「茶の湯文化」の本髄は縄文以来の伝承文化の先に築かれた日本列島の文化ということ
支那で無くなった抹茶が日本に残ったのではなく、「番茶の振り茶」の変異が「抹茶の茶の湯」

そこには、神道の心というか神を畏み敬う思いと「浄め」と「禊・みそぎ」の形が見られる
「お祓い」とは「振り」の所作に他ならない、坊主の生臭講話とは異次元のものである
日本の神道は「宗教」では無く「精神衛生学」というのが的を得ていると思われる
「宗教」は人をたぶらかし、殺人を幇助し、身分制度と特権階層を生み、人を食い物にする
「番茶の振り茶」、思えば茶文化の歴史というか、日本の民俗史の底流に繋がっるもの
遥か縄文人の心、縄文文化の世界まで勝手に述べて来たが、この話、これで最終回

手元に、山本吾(木へん)郎著「番茶道」という女房殿が所持していた一冊の本がある
昭和四十七年発行で、番茶道に徹した森下邦堂という御仁とその生き様が書かれている
私の女房殿が娘時代に習っていた煎茶の家元だとか、私は知らなかった
当流の京都稽古場の世話役で京焼七代目という陶工はその御仁に師事され心服していた
振り茶とは直接の関係がないが腑に落ちた本、「番茶の振り茶」の番茶で思い出した
ついで話と云うては何だが、ここで紹介しておきたい、発行所は浪速㈱社とある
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