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さるすべり(百日紅)、花言葉は「愛嬌」
囲碁にサルスベリという手がある、底辺をすべって地をとる手だ
確かにやられると苦笑するしかないが、やった方は「ご愛嬌」だとか

 「茶の湯と茶道」、言葉の意味や違いについては本に色々書かれている
桃山時代には茶の湯、或いは茶湯(ちゃとう)と呼ばれていたのが、江戸時代の半ばから茶道という云い方が出て来たらしい
「ちゃどう」と云われたものが、何時しか「さどう」となったということである
大日本茶道学会という茶の組織(流派)があるが、そこは今も「ちゃどう」と云う

 「道」が付くものというと、芸道、書道、華道、香道、歌道、武道、剣道、柔道、弓道等がある
武士道という言葉の影響とも云われているが、武士道は古来の「もののふのみち」から来ている
「道」を付けることで、精神的な探求や宗教哲学的な教義が入り、あり方を教える道理・条理となる
剣術が人を斬り殺す術・技から、剣道となれば人の生き様・あり方の修練、求道となることだ
修練の場が道場となり、教える者が師範、教えられる者が弟子となる、そういう形だろう

 剣術を身に付けた者を剣客と呼ぶが、剣客で飯を食う方法は二つしかない
一つは用心棒か人斬りを稼業にすること、もう一つは師範として稽古料か扶持を得ること
無外流剣客・秋山小平の云う「それで飯を食えば何事も商売」つまり「剣客商売」だ
必殺仕事人は依頼があった殺しで小遣いを稼ぐが、皆生業を持っているようだ
用心棒はヒモか極道稼業みたいなもので、安定せず生業とは云い難いだろう
剣客の生業は剣術師範として仕官するか、道場主として稽古料や謝礼が得ることになる
では、茶の湯で飯を食うとはどういうことか、つまり茶の湯者の変遷である
どう見ても茶技で用心棒は難しい、精々毒入り茶で暗殺の手伝いぐらいか(テレビでは)

 山上宗二記に、数寄者、侘び数寄者、茶の湯者、名人とあるのは前にも書いた
この中で、茶で飯を食う、茶を生業とする者を茶の湯者としている
桃山から江戸初期の茶の湯者とは、茶で扶持を得ることが本分で、謝礼や稽古料は付足しだった
それが、茶家の家元制度が出来て謝礼や稽古料が本分となり、茶の師匠、茶匠が生まれる
芸事・習い事の教授には、カリキュラムの体系と教育課程が必要になり、編纂されていく
その一つが相伝の細分化である、元々の茶の相伝とは台子の伝一つだけで、それで皆伝とした
相伝に五つ七つの段階を設け、それぞれに教える内容も分けられ、複雑化していったのである
茶の湯(目的)の稽古(手段)が、稽古そのものを目的化する形、教えることが目的になった
一種の身分制を敷き、禅宗的な精神性を求める茶の稽古体系として、茶道が作られた
明治以降には、大名家の扶持を離れた茶頭の家筋も茶家に変じ、茶道の世界に加わった

 因みに、当流は流祖以来当代まで「茶の湯者」を抱え続けて来た
幸か不幸か、当代に於いても今尚、「茶家」には成り切っていない部分がある

 私のホームページには「茶の湯」の言葉を使っても「茶道」という言葉は使ってない
それは上述の通り、稽古そのものを目的化しないし、教条も持ち合わせていないためだ
それに、茶の稽古を長く続けてもらうつもりもないので、最長五年と期限も切っている
勿論ながら伝は出ないが、当流仕込の茶事が出来る御仁として宗家の認可を得ている
要は、「大人の男に茶の湯を楽しんでもらえること」、それを目的としているためである
更に云うと、私には茶道が出来ないというのが本音でもある

 少々書き疲れた・・

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