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松永弾正久秀の墓、奈良葛城郡王寺町の達磨寺にある

筒井順慶の墓を掲載したなら、松永弾正の墓も出さないと片手落ちかと
片手落ちという言葉が差別用語だ云々、最近やたらとこの手の言葉狩り話が多い
弾正は信長軍の主力となった順慶に攻め立てられ、平釜を抱え信貴山城で爆死
この平釜は「土蜘蛛」という銘をもち、信長がその釜を出せば命を助けると云うたとか
そこで「土蜘蛛」に爆薬を詰め、自爆して果てたということ、さすが武将茶人の面目
片手どころか、その身は釜と共に木っ端微塵の粉々である
さてはて、墓に埋められているのは何であろうか、そもそも「土蜘蛛」と名付けたのは・・
古事記に出る「土蜘蛛」は、大和の先住民で洞窟に住む尾のある手足が長い人達のこと
葛城山系で神武軍に打ち取られたとあるが、その話と繋がるかと思いは馳せる

実は、京都の茶家である千家の家元の祖である千宗旦は松永弾正の孫に当たる
つまり、弾正の妾が弾正の子を連れ、千利休の後妻となり、その子の子が宗旦とか
弾正の妾とは宗恩、その連れ子とは小庵である、この話は千家では色々云われる
その辺りを廣田吉崇という茶学者が説明している、千家周辺の思いが見てとれる
少々長いが、興味ある方はご一読を

http://202.231.40.34/jpub/pdf/js/IN4101.pdf

別に千家の悪口を云うつもりは無いが、少々云いたいことはある
「茶家」として飯を食う仕組みに家元制という似非身分制度を作った功罪である
茶技を教えることで稽古料を得られるように、稽古カリキュラムを相伝という形式にした
それで稽古が分り易くなり、茶はお稽古事として特定階級から一般階級にも普及した
特に、明治以降は女学校教育の一環として「婦人のたしなみ」という位置づけを得た
その結果として、「茶は女のもの」という感覚を世間が持つようになった
「男の茶」は旦那衆の道楽となり、実業で名を成した御仁の文化素養の箔にもなった
家元制度と集金制度が重なり、千家の功罪も人はあれこれ云うところである
室町の奈良で生まれ日本文化の象徴的なものとしてあった「茶」、「男の茶」は・・

それはそれとして、私が千家に違和感を持つことが一つ
裏をやる知人の曰く「裏千家流ではなく、茶道・裏千家と云ってほしい」とかなんとか
そもそも、私から云えば「千流」であって、何故に「千家」と称するのか分らない
「千家の茶」というなら、「上田家の茶」であり、「上田家流」と云うなら話が分かる
そもそも論を続けると、「千家」という姓は出雲国造の家柄という名家の苗字
その天皇家に匹敵する家系を持つ「千家」の名を僭称していることになる

実は、私が勤めていた会社に「千家●子」という妙齢の女性が居た、美人で品があった
その女性は本物の千家家(せんげけ)の傍系の出自でげその人の話に私は笑ったもの
「私は余りお茶は知らないのに、人はそう思ってくれないので困る時がある」と云う
つまり、人に出雲の「千家家」を説明するのが面倒なので、いつも笑ってごまかすとか
その女性、今はどうされているか、まま良家に嫁ぎ良妻賢母として納まっているのだろう
もしかすると、お茶を習い始めているかも知れない、上田宗箇流の(^^)

そう云えば、最近のニュースで千家家の本家に宮家の内親王が降嫁されたと聞いた
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