2015.10.30 風船コスモス
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般若寺のコスモスが満開という記事があった、日本最初のコスモスの名所だとか

コスモスの来朝は明治半ば、飛鳥時代創建の般若寺の能書きにコクモス寺とは・・
郡山の幼稚園児が飛ばしたコクモスの種を付けた風船が鳥取の梨園へ届いた記事
此方は、その梨園から幼稚園に梨が届けられ、園児が喜んだと云う美談になっている
さて般若寺のこと、私の出た中学校のすぐ傍にあり、悪友と遊び回ったところである
前に「千家家」で松永弾正のことを書いたが、その弾正の居城が般若寺横の多門城
永禄十年(1567)東大寺大仏殿の戦いで、弾正が東大寺・興福寺と共に般若寺も焼いた
よって弾正は奈良で人気がない、「日和見」の誤解があるが筒井順慶の方が好かれる

多門城跡に私の中学校があったので、窓から奈良の町を眺めながら歴史授業を受けた
授業では光明皇后のハンセン病治療で般若寺のことを教えられたが、後日に色々知った
多門城、般若寺界隈は奈良工芸の職人の町で、多くの茶人が往来していたこと
「茶」のバイブルと云われる「松屋日記」や春日の神人の「長闇堂記」が残されていること
松永弾正の子が千小庵、その子が千家の始祖・宗旦ということ
南アメリカの花であったコスモスが、スペイン経由で日本に入り「秋桜」と云われたこと

先週末にはコスモス風船が行き着いた鳥取に、女房殿が娘夫婦と孫と共に訪れていた
女房殿の母親の実家は鳥取で、もう三年ほど前から実家近くの養老施設に入っている

水戸黄門が歌っている

風吹くままに  花は散り  雲行くままに  人は去る  
世の移ろいを  観るなれば  貧しきものも  富むものも
同じ仮寝の  露の宿


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